服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

先行投資というもの先行投資は、残りの失敗した投資を凌駕する価値を創出する

先行投資という言葉は、まあ、実際に経営などしていない頃や、若い頃は、平気で使っていた。

いつも弁解しつつお金を使うときに、この言葉を言っていた気がする。

そして、今になって、本当に「先行投資」の意味や価値や、その必要性、結果や効果が分かる。

そして、勇気と知恵が必要な行動であることが、分かる。

何故ならいま、実際に価値を生み出していることのほとんど、実際に成果になったことのほとんどが、当時“先行投資”と言い訳して、使ったお金の成果だ。

だが、分かりにくい。

将来の価値何て見えにくい。未来の成果なんて分からない。無駄になるものだってある。

で、だから、いま経営者となって「先行投資」をする場合、私も副代表の夫も、弁解っぽい説明になる(笑)

会計担当者や現場の職員に、一生懸命、説明をするが、自分で話しても、聞いていても、弁明に聞こえる(笑)

けれど。本当に10する先行投資の一つが実れば、価値は大きいのだよ。時間という価値の掛け算で、100くらいの成果になるんだよ。

実らなかった、残り9さえ、生きるかたちになるんだよ。

先行投資は、残りの失敗や無駄を、凌駕する価値を創出するんだよ。

先行投資というもの

先行投資という言葉は、まあ、実際に経営などしていない頃や、若い頃は、平気で使っていた。

いつも弁解しつつお金を使うときに、この言葉を言っていた気がする。

そして、今になって、本当に「先行投資」の意味や価値や、その必要性、結果や効果が分かる。

そして、勇気と知恵が必要な行動であることが、分かる。

何故ならいま、実際に価値を生み出していることのほとんど、実際に成果になったことのほとんどが、当時“先行投資”と言い訳して、使ったお金の成果だ。

だが、分かりにくい。

将来の価値何て見えにくい。未来の成果なんて分からない。無駄になるものだってある。

で、だから、いま経営者となって「先行投資」をする場合、私も副代表の夫も、弁解っぽい説明になる(笑)

会計担当者や現場の職員に、一生懸命、説明をするが、自分で話しても、聞いていても、弁明に聞こえる(笑)

けれど。本当に10する先行投資の一つが実れば、価値は大きいのだよ。時間という価値の掛け算で、100くらいの成果になるんだよ。

実らなかった、残り9さえ、生きるかたちになるんだよ。

先行投資は、残りの失敗や無駄を、凌駕する価値を創出するんだよ。

行動しよう。思い・アイデアよりも結局必要なのは実行・実践だ

物事で「思い」というのは大事だ。

志とか構想とか。目標とか。夢とか理想とか。閃きとか、アイディアとか。とても大事だ。

これらを一言で「思い」と言ってみよう。

とにかく「思い」というのは、最初にあるものだし、それがなければ始まらない。とても大事だ。

だけど。

どんなに凄い「思い」があっても、行動がなければ、なんの形にもならない。

実行しなければ、実践しなければ、何らかの形にしようとしなければ、何にもならない。

よく「私、~~がしたいんです」「~~になりたいんです」という人に会うと、「じゃあ、やれば?」と言いたい。

「それ、私も考えていた」「これは私はあの人より前にアイディアがあった」という人に会うと、「なぜ、実行しなかったの?」と聞きたくなる。

思いやアイディアがあっても、実際に行動する人、実行する人は、少ない。

行動しよう。実行しよう。形にしようと頑張ろう。

思いは、何らかの形にしなければ、何にもならないのだ。

昼夜逆転のウェルネスケア施設生活

訳あって、いま、昼夜逆転もありの生活をしている。

本来は目的は違うはずだが。ウェルネス施設にいて、自分で勝手にそのようにしているのだ。

実際に。いろんな人がおり、かなりの仕事をこなしながら。ここに居る人もいる。

消灯になっても、廊下の灯りが消えるだけで、自分の部屋では自由である。

昼間だって、受けるべき検査や施術の他は、寝ても起きても、誰にも邪魔されず、自由だ。

というわけで、やるべき事の間で、昼夜かまわず、仕事と睡眠と、読書と惰眠と、散歩と休憩と、温泉と思考とを、繰り返している。

朝が昼にずれ込み、昼が夜にずれ込む生活は、長くしたらダメだろう、というのは分かる。

だが、一年に一回くらいは、そんなことがあっても、よい。

いま私は、1日24時間、一週間7日、一年365日、休みのない生活をしている。

血圧は医者から忠告され、何とかは看護師から強く注意される状況だ。

というわけで、仕事もしてもいいから検査や休息ができ、仕事を片付けてもいいから休憩ができる、そんなところに来たのだ。

明日、終わる。

頭はスッキリ、身体もすっきり、心もすっきり。

自分のことを棚にあげて、他人を批評・批判できないよ

自分の20代、30代を思い出すと。

どうしようもない社会人だったと、思う。

つけあがった仕事人だったと、思う。

自分を勘違いした職業人だったと、思う。

思い出しても恥ずかしい。消ゴムで消したい(笑)

だから、今の若い人を見て、悪くは言えないし、思えない。むしろ「まあ、私に比べれば‥‥」と本気で思う。

自己肥大は、若い時代の特権だ。いや、若くない人にも。

幾つになっても、若い人ではなくとも、その人にとっての“我が世の春”がきたら、自己肥大するのを、許したい。寛容に見つめたい。

私は、自分のことを棚にあげて、他の人を批評できないし、ましてや批難できない。

「国を変えたければ教育を変えろ」

「国を変えたければ、教育を変えろ」

何度か、聞いた言葉だ。

でも、たとえば日本は、そもそも国を変えたいなんて、思っていないかもしれない。

というのは乱暴だから、日本人の多くは、と言い換えよう。

言い換えるとこうなる。

日本人の多くは、そもそも国を変えたいなんて、思っていないかもしれない。

こんなによい国なのに、なぜ変えるのだ、とか。変えるというなんて、日本はそんなに悪い国なのか、と。

人や組織や国は、本当は、悪くなくとも、変わらなければならない。

時代が変わっているのだ。アップデートするには、変わる必要がある。

世界が変わっているのだ、取り残されないためには、変わらなければならない。

日本人も日本にいる人も、変わっているのだ。国民=人間ありての国だ、変わるべきである。

さて。ということで、私は、乳幼児教育から、変えます。

20年後、30年後、40年後、50年後が変わります。

その頃は、私達保育園が育てた人は、まだ、20代、30代、40代、50代。日本を変える世代のど真ん中にいます。

 

 

補助線を引く、数学以外の問題で補助線を引いて課題解決の糸口をさがす

「この問題に、補助線を引いてみよう。そしたら解決の糸口が見えてくるかもしれない」

などと、カッコいいことを、私の見かけはアホな夫が、時たま言う。その時だけは、格好いい。

ちなみに、この問題とは、算数や数学の問題ではない。社会課題や、組織内で起きた問題や法人の人事課題、とある人材の人間分析などだ。

さて、私は今、ここ数日、一人で、とある場所で寝転びながら、とある場所を歩きながら、とある電車に揺られながら、とある番組をながら視聴しながら、頭の中で、大きな課題に取り組んでいる。

で、行き詰まって、いや、迷路に入って、いや、見方を変えてみたくて、ふと「この問題に補助線を引いてみよう」と、思いついた。

だが、引こうとは思いついたが、どんな補助線をどこに引くのかは、思いつかない(笑)

仕方ない。まず。どこに、どんな補助線を引くかという問題・課題に、補助線を引くか?(笑)