服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

権力に近づくのを恐れない権威に近づくのを怖れない

大学を設立しようと決めてから私は、色々なことを順々に決意していった。

自分の苦手や不得手に取り組むこと。避けたいことから目を背けないこと。やらなければいけないことは、自分の気持ちではなく決意に従うこと。……。

そうでなければ、この一大事業は達成できない。得意なことだけやり、やりたいことだけをやり、気持ちの乗ることだけをやっていては、本当に私が考える大学は出来ない。

 

で、今年になって決意したことは、「権力に近づくことを恐れない。権威に近づくことを怖れない」である。

 

色々な事情があって、かなりの年になるまで、私は市役所や銀行が怖かった。笑っちゃうが、市役所さえ、私にとっては権力だった。銀行は権威だった。

何しろ年頭の願いに「市役所や銀行に平気で入れるようになる」と書いたくらいだ。哀しいくらい可笑しな願いだった。

後に銀行や市役所に、本当に平気で図々しく入れるようになった時に、アマルティアセンの「潜在能力」がテーマの本を読み、感嘆した。この人は本当に凄い、と。分かっている、と。

 

で、やっと今回、更に大きなことに挑戦するときに、今度は更に深いところで、決意した。

権力に近づくことを恐れない、権威に近づくことを怖れない、と。

自分の為なら決意できないことも、未来の学生の為なら決意できる。

 

手放した過去から未来への応援を貰う

いきなりだけど、1月1日付けで、ある研究機関から『特命教授』を拝受した。我が家では『棚ぼた任命』と呼んでいる。(笑)

 

勿論、くださる方はちゃんとその会の基準と規定の上で任命する。年末に様々な証明書や書類も提出した。その機関は主に、中国語通訳翻訳として25年以上第一線で活躍したことを業績として認めての任命である。

 

新しいものを手にしたければ、いま手に握っているものを捨てなければならない、という言葉を私は肝に命じている。

だから、大学設立を志してから私は、ある意味、過去を捨てた。これまでの自分のささやかだけど成したことや、小さいが成果と言われるものを、捨てた。勇気をもって。

 

もう通訳はしないし、政策アドバイザーもしない。それらの資料も大量の本も、成果物も、作品も、すべて捨てた。気持ちや、時間や行動や全てのコストを大学設立準備にあてるために。

 

名前の横に何か職業を書かなければならないから、中国語通訳とか政策アドバイザーと書いている。何の役にもたたない、博士号があればいいのに、と思いながら。

 

ところが今、代表理事である私の肩書きに、特命教授が付くのである。

手放したはずの過去から、大学設立のための応援を貰い始めた。そんな気分だ。

雇用労働について勉強、リーダーとして

国家戦略特区 東京圏雇用労働相談センターが主催するセミナーに参加した。

法人代表者や経営者は、雇用者でもある。我が一般社団法人は、まだ小さいし誰も雇用していないが、いまから勉強しておかなければならない。

法人が大きくなってからでは、間に合わないのだ。修行や勉強は、先にしておいて損はないのだ。(笑)

というわけで、厚生省から出向してきたような(印象である証拠はない(笑))担当者が案内をし、社労士と弁護士が出てきて説明をしてくれる。よく聞く、ペーパー資料をめくり書き込む、分厚い資料もある、そんな濃密な数時間を過ごした。

終わった時には、私はかなり疲労していた。午前に一つ仕事をしていからだ、と自分に言い訳をし、目の前の渋谷ヒカリエで思わず…。

いや、誘惑に負けずに頑張った。何しろ、代表者(雇用者)の大変さをやたら感じ入る内容だったし。(笑)

頑張って、セミナーのみで渋谷の繁栄喧騒をぶっちぎって帰宅できたのは、久しぶりである。

自分の使命の大学を創る。自分の夢でも理想でもない。

今ごろになって私は、自分が作る大学が何であるか分かった。私は「自分の使命の大学」を作るのだ。私の「夢の大学」でもない。私の「理想の大学」でもない。私が「欲しかった大学」でもない。

 

私の創るべき大学、私が創らなければ誰も作らないであろう大学、私しかこの在り方を重要だと思わない大学、だから私しか創れない大学。

故に「私の使命の大学」だ。

 

作りたいから作るのではない、作らなければならないから作るのだ。出来るから作るのではない、必ず創るのだ。誰もやらないかもしれない、でも私なら創ることが出来る。

だから「私の使命の大学」だ。

 

誰かが作れる大学は、誰か作ってください。

何処かに作れる大学は、どこかに作ってください。

出来るから作る大学は、他の人がやってください。

 

私は、これからの時間と情熱と努力を尽くして、自分の使命の大学を創ります。

私は、これまでの経験と知恵と知識を尽くして、自分の使命の大学を創ります。

私は、私の生まれた意味と、生まれた場所の理由と、生きた人生の意味を、自分の使命の大学創設にかけます。

「会議ドナー」方式で会議を開催

世の中では、お金はないが何かをしたいときに、株式という方法があり、一方でクラウドファンディングという方法がある。

また、それほどの大金はないが大会を開催したいときに「大会スポンサー」という方法がある。

 

ならば、どうしても便利のよい場所で、よい空間で会議を開催したく、そういうところは費用がかかり、だけどそんなお金はない、だけどそんな会議を開く必要があるがある、というときはどうする?

一方で世の中では、直接の寄付は出来ないが何故だか「会議室を提供する」ことはてきる、あるいは「会議費用ならこちらで出せますよ」という方がいたりする。

 

そこで、「会議ドナー」という方法を作った。大会スポンサーがあるなら、会議スポンサーというのがあってもいいでしょ。スポンサーじゃ大げさだからドナー(寄付者、提供者)にしましょ。

 

というわけで、昨日。

「会議ドナー」方式で、沖縄グローバル大学設立準備会のキックオフ会議「合同戦略会議」を某ホテルの会議室で食事付きで開催した。

式次第ペーパーの、開催日付等を書欄に「会議ドナー:○○」と書いた。

我ながら、よい方法を発見した。(笑)

100歩進む軍資金まだないが、一歩進む寄付はある。

「鈍感力」をつける

さて。

大学を設立したいのです、と言って回ると、色々なことを言われたり、様々な態度をとられたりする。

 

大抵が、親切に意見を言ってくれたり、アイディアや情報をくりたり、思いやりから心配されたりすることが、ほとんどだ。そういう人の言葉はキツくても胸に入る。

 

だか、別に被害は被らないはずの人から、呆れられたり、バカにされたり、批判されたり、怒られたりする。これが、意外にけっこうある。

 

「君はバカか」「お話しにならない」「大学がつぶれる時代に……」「君は分かってない」「甘い」「その程度(の組織)で、うちに来たんですか」「今すぐ、やめなさい」「頭がおかしい方なんですね」「絶対、出来ない」

 

言葉はキツいが大したことない、……わけはない。(笑) そんなこと言われると、短くて10分、長くて3日くらいは、へこむ。

一番ひどい言葉と態度を受けたときは、1週間ほどフラッシュバックがあっ。(笑)

 

さて。

そんな鈍感力をつけたい私に昨日、ある友人から「気が狂っていると思われてもいいから、夢に邁進して」という旨のメッセージが来た。

ジンときた。

 

 

 

大学見学・立命館アジア太平洋大学

立命館アジア太平洋大学は、大分県別府市から車で30分走らせた山の上にある。本当に山の上にある。(笑)

この大学の関係書籍を、出版されているだけ読んで、見学を申し込んだ。

見学だけなら何時でも自由にキャンパスをまわれる。しかし、大学関係者の視察については指定された日時があり、申し込むと「申請受け付け」の返信があり、その回の締め切り後に、詳細な案内が届く。

 

今回は五つの大学関係者12~15人の視察参加者がいた。

見るからに、聞くからに(笑)能力のありそうな学長室課長が、事前に私達が送った質問にバンバン答えながら、説明をしていく。躊躇なく、的確に、情報を伝えてくれる。これで約1時間。

「まだ質問があれば、(帰宅したあとでも)何時でもお寄せください。お答えします」と。

 

そのあと人数が多いので2グループで、ということで優秀な国際学生が二人待っていて、それぞれに別れて、1時間かけてキャンパスを案内したくれた。

食堂は完全ムスリム対応、学生寮は多様性確保、行き交う言語は多彩。学生の50%は国際学生つまり外国からの留学生である。日本人は国内学生と呼ぶ。

私達は、集合前の4時間前から学内を自由に見学し、学生食堂を実際に利用し、終了後もカフェを実地使用した。耳をダンボにして(笑)学生の会話を聞く。

沖縄グローバル大学は、これに近い感じになるのだろうな~、と話し合った。