服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

誰がために鐘はなる

文学や映画の話ではない。

私は、誰のために何のためにこのブログを書いているのか、という話である。

 

まず、ある先生に向かって書くときがある。それはひいては、経営者や学校など、全ての私の先輩や恩師や先生たちのことだ。

誰も失敗を望んでなんかいない。みな、私の成功と成長と達成を願っている。

 

そして、ある友人を念頭において書く。私に協力し、意見をいい、大学設立の夢をかけてくれる友人だ。それはひいては、沖縄や北京(中国)やアメリカやイギリス、日本中で私を見守る友人たちだ。みな、私を応援してくれている。立派なリーダーであってくれ、と思っている。

 

そして、10年後かまたは明日、大学を作ると決心するもう一人の人間に向かって書いている。

おそらく私と同じくその時その人は、「どうやったんだろう」「実際はどんなことが起きるのか」「具体的な失敗と成功を聞きたい」「次々に起きる、って実際はどういうことか」「その時、どうしたんだろう」などと、考え調べるだろう。その時のその人のために、書いている。

 

だから私は、成功も失敗も書く。泣き笑いを書く。何が起きるのかを書く。どう転んだのかをかく。どう乗り越えたのかを書く。正直に書く。書ける範囲でそのまま書く。

 

その時にこのブログが、その人のための鐘となって、鳴ってほしい。

 

失敗したのに成功した気分

本日、2ヶ月翻弄され続けた某保育園予定物件の、正式契約の日のはずだったが、破棄になった。

しかし、失敗したはずなのに成功した気分、何かを達成した気分の、今の私。不思議。(笑)

 

本来は今日が正式契約日だったが、相手側の何回目かの心変わりで、なぜだか、私と間に立った双方の不動産仲介者の3人で、直接「大家さんの面接」(笑)を受けに行くことになった。

 

市にも通したし、銀行融資もこの物件の書類で通ったし、やりきらなければ、という思いだった。

 

で、誠意を持って説明し、敬意を持って相対した。双方の仲介者たちも、何を言われても我慢してくれた。そして最後は納得し、握手を持って辞してきた。

 

茶店で、契約の日付の変更を受けて何をどうする、と話し合っているところに、大家から心変わりを伝える電話がきた。

 

なんと、皆が、どっと安心し、パッと顔が明るくなる。(笑)(≡^∇^≡)

最後は、「縁がなかったですね」「仕方ないですね~」「将来のリスクヘッジできましたね~」と言い合う始末だ。

やるだけのことはやった。そうした結果は、爽快に受け取れる。(⌒‐⌒)

「大局に立って」

「大局に立って。」

昨日、友人と話したときに、こう言われた。北京留学時代からの長い友人だ。

「もう、あなたはリーダー。組織のどんな人よりも、チームの誰よりも、大局に立って判断と決断をするべき人間になった。あなたはそれができる人よ。大局に立って。」

白山神社あじさい祭りの後の、人並みも落ち着いた境内で、樹木に雨が染み込んでいく。

一緒にきたお嬢さんの赤い傘は、気をきかせてひとり遠くにある。

……。

大局に立つ。

……出来るかなあ~。(笑)

言っとくが仕事ばかりしている

まあ、誰に何を言っておくのかは、知らないが。(笑) 私は、ハードに、必死に、かなり仕事ばかりしている。

Facebookに、飲んでいるのをアップしたりすると、友人たちが「心配して損した」とか「飲んでばかりで楽しそうだね~」と言われる。(笑)

ま、確かに、心配かけて悪かったし、飲んでばかりだし(≡^∇^≡)

でも、その数倍の時間とお金と神経を、仕事に使っている。

そうでなければ起業は出来ない。

そうでなければ大学は作れない。

そうでなければ保育園も作れない。

というわけで、言っておくが私は、頑張っている。

 

「柔和忍辱(にゅうわにんにく)の鎧を着て」

先人の言葉に「柔和忍辱の鎧を着て」というのがある。にゅうわにんにくのよろい、と読む。

もしも、大きなことを達成しよう、初めての事を成そうとするならば、どんなに腹が立つことがあっても、罵詈雑言を受けても、理不尽な扱いを受けても、穏やかな笑顔で受け、耐えて、忍んで、堪え抜きなさい。という意味だ。

 

はい(笑)、この一ヶ月、小さな事のさらにその半歩程度の達成、そして私にとっては初めての事だかこの世ではたくさんある事を、成そうとしただけなのに、私はこの言葉をひたすら心に置かざるを得なかった。(笑)

 

あることで、腹が立つは、切れそうになるは、実際に切れるは、家族に当たるは(笑)の繰り返しだった。

その度に「にゅうわにんにくのよろいをきて。にゅうわにんにくの……」と呪文のように頭で唱える(笑)。

大学設立になったらこれがもっと大きく出るのだ、いま小さい事で大学設立の準備をしているのだ、と言い聞かせ。

 

お陰さまで、今回の成すべき事の、そのピークを越えることができた。しかも劇的に。有り難い。素晴らしい。嬉しい。

 

でも出来たら、次の「柔和忍辱の鎧を着る」のは、もう少し後になってほしい。(笑)

 

経験を語ってくれる若き先輩。

私よりずっと若いが、経営者としては先輩のT氏と、品川であった。

「いま、日本なんで、時間あるんで。会いませんか」とメッセージが来たのは昨日。

経営のこと、起業のこと、リーダーは孤独であること、その諸々を話してくれ、私が更に長く話し(笑)、なんと約3時間。

終わる頃に、ハッとした。

この人は、私を心配して会ってくれたんだ。私に、経営者としての経験を様々話すことで、私を励ましてくれたんだ。と分かったのだ。

有り難いことである。

自分の失敗と成功を話すことで、私の転ばぬ先の杖となってくれる。

自分の経験と知恵を語ることで、私の今後のマイルストーンを教えてくれる。

こんな方がいて、私は運がいい。

誰も死なせない決心(笑)

大学を作ります!と回り始めたときに、よく見聞きしたことがある。

「大学一つ創るまでには、誰か一人は死ぬ」

ある人は笑い話で言い、ある方は真顔で語り、ある本はそう書く。まるで都市伝説のようだ。

しかし最近、やっと腑におちた。

これは、いわゆる過労死だ。心労と過労と寝不足と、作業のインターバルのなさと、理不尽と怒りへの忍耐と、やり直しに対する気の取り直しと、……。つまり過労死だ。

最近、ああ、この大学設立で死人が出るなら、それは私だな~(笑)と、妙に納得できた。

だが、私が死んだら、当たり前だか大学は設立できない(笑)。さらに、誰も死んでは困る(笑)。

 

と言うわけで、決心した。

誰も死んではならない。私も死んではならない。誰も死なせはしない。私も死なない。

決心したら、安心した。(^o^ゞ