服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

責任者は眼だって真っ赤になる

大学の一貫連携教育施設として、沖縄と東京圏に保育園を設置することになった。

そこで、内閣府企業主導型の保育事業に申請をだした。大学保育園の設置としては、まさにドンピシャの枠である。7月31日がその申請の締め切りだった。

5カ月間の闘争と奮闘、慣れない申請業務、炎天下の関係者回り、お役所への往復。しかし、ついに申請をだし、昨日は保育園開設コンサルと総括の会議をした。明日が銀行融資の面接だからだ。

で、本日タラタラと過ごし、午後になって初めて鏡をみた。そしたら、自分の白眼が赤目になっている。まるで、ホラー映画の幽霊か、梅図かずおの登場人物だ。ぎょえ~!

ストレスか、過重労働の結果か。安心したから出たのかか。世の責任者、起業家、経営者は、こうしたストレス表出に、慣れているんだろうな~。

梅図かずおの瞳に、目薬を差すために、外に出た。

シシュポスの石は沖縄言葉で乗り切る

ギリシャ神話にシシュポスの石というものがある。最大の拷問と言われるものだ。

単純だ。山頂まで、岩を挙げさせる。山頂寸前で、その岩を落とす。また挙げさせる。落とす。繰り返させる、永遠に。

似たものに、穴を掘らせて、またそれを埋めさせるというのがある。

徒労感、酷い徒労感、絶望的な徒労感、なのだろう。それを例えるには、この二つは的確なお話だと思う。

 

さて。今日私は、絶望的な徒労感を味わった。

5ヶ月かかって達成寸前まで持って来たことが、仕切り直し、もう一度やり直しとなった。帰りの電車で「あれをまたやり直すのか」「全部○○のせいだ。あの○○から慰謝料を貰いたいよ」と、石を突き落とされた男の気分だった。

でも、仕方ない。

いま、沖縄言葉で「ちゃ~んならんさ」「しむさ~」「なんくるないさ~」を繰り返して、乗り切っている。

新規参入を阻む業界は発展しない

内閣府企業主導型の保育事業説明会に行ったら、驚くことを聞いた。

説明者が私の質問に答えて、「これまで保育事業をしたことのない事業者は、採択のポイントが低い」と名言したのだ。

更なる確認の質問に、「今回が初めての保育事業者、新規参入の事業者は、申請の際に採択・認可される審査の累積点数が、減点される又は加点されない」と答えた。

もちろん、何故?どうして?とまたまた聞き返したら「だってそうでしょう。今まで保育をやったことないのに、なぜ今回やるのかが問題ですよね」とのこと。はあ~?!

 

新たな社会課題の解決に、新たに乗り出そうとする若者(その業界における若者)や新参者には、壁をつくるらしい。それがこの業界の良識か。

新たな社会課題の解決のために、新たに作った制度のはずなのに、新たな参加者・新規参入者に対して狭き門にする、意味があるのか。

 

新規参入に価値を置かない業界に、発展はない。

新しいものや新しい人を吸収しない業界に、将来はない。

新しいものや新しい人を生み出さない業界に、未来はない。

私が変えてやる!

 

 

 

「決断したら事は動いていく、行動したら事は決まっていく」

東日本国際大学から帰って、何日たったことか。何度も、この言葉を目にし、反芻している。

緑川理事長が、記念会食のスピーチの中で、そう洩らした。

様々、すごい話や素晴らしい言葉があり、記憶では、ほぼ、どれもよい。

だが、この言葉は、自分のあらゆるメモから、出てくる。スマホのメモ機能、メールの下書きページ、手帳の隅、…。(笑)

よっぽど忘れたくなかったのか。

刻んでも、さらにもう一度思い出せ、と自分自身に言おうとして、あちこちに記録したのか。(*^^*)

なぜそうしたかは思い出せないが、有り難いことに、何度も目にして、反芻している。

手続きというものには条件があるという真理に気がつく

何か行動して、結果的に凹むようなことがあるとする。しかし時間がたって、実は一センチくらいは、前より進んだことに気がつく。

 

今日、ある行動をして、結果、ガクリとすることがあった。午前中のことだ。

落胆のあまり(言いすぎだ笑)、ランチの場所もなかなか決めきれず、注文もボーッとし……。

だが、ご飯を食べて、コーヒー飲んで、午後になって、ふと気がついた。

やる前より、知識が増えた。知恵が増えた。

 

「手続きというものには条件がある」という真理に、身をもって気がついたのだ。大袈裟だが、私にとってはこれは激しい悟りだ。

そこで、同時通訳界の名文句に乗せて言おう。

この一歩は人類にとっては僅かな一歩だが、私にとっては偉大な一歩だ。

誰がために鐘はなる

文学や映画の話ではない。

私は、誰のために何のためにこのブログを書いているのか、という話である。

 

まず、ある先生に向かって書くときがある。それはひいては、経営者や学校など、全ての私の先輩や恩師や先生たちのことだ。

誰も失敗を望んでなんかいない。みな、私の成功と成長と達成を願っている。

 

そして、ある友人を念頭において書く。私に協力し、意見をいい、大学設立の夢をかけてくれる友人だ。それはひいては、沖縄や北京(中国)やアメリカやイギリス、日本中で私を見守る友人たちだ。みな、私を応援してくれている。立派なリーダーであってくれ、と思っている。

 

そして、10年後かまたは明日、大学を作ると決心するもう一人の人間に向かって書いている。

おそらく私と同じくその時その人は、「どうやったんだろう」「実際はどんなことが起きるのか」「具体的な失敗と成功を聞きたい」「次々に起きる、って実際はどういうことか」「その時、どうしたんだろう」などと、考え調べるだろう。その時のその人のために、書いている。

 

だから私は、成功も失敗も書く。泣き笑いを書く。何が起きるのかを書く。どう転んだのかをかく。どう乗り越えたのかを書く。正直に書く。書ける範囲でそのまま書く。

 

その時にこのブログが、その人のための鐘となって、鳴ってほしい。

 

失敗したのに成功した気分

本日、2ヶ月翻弄され続けた某保育園予定物件の、正式契約の日のはずだったが、破棄になった。

しかし、失敗したはずなのに成功した気分、何かを達成した気分の、今の私。不思議。(笑)

 

本来は今日が正式契約日だったが、相手側の何回目かの心変わりで、なぜだか、私と間に立った双方の不動産仲介者の3人で、直接「大家さんの面接」(笑)を受けに行くことになった。

 

市にも通したし、銀行融資もこの物件の書類で通ったし、やりきらなければ、という思いだった。

 

で、誠意を持って説明し、敬意を持って相対した。双方の仲介者たちも、何を言われても我慢してくれた。そして最後は納得し、握手を持って辞してきた。

 

茶店で、契約の日付の変更を受けて何をどうする、と話し合っているところに、大家から心変わりを伝える電話がきた。

 

なんと、皆が、どっと安心し、パッと顔が明るくなる。(笑)(≡^∇^≡)

最後は、「縁がなかったですね」「仕方ないですね~」「将来のリスクヘッジできましたね~」と言い合う始末だ。

やるだけのことはやった。そうした結果は、爽快に受け取れる。(⌒‐⌒)