服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

「登場人物が多すぎる!」

友人が教えてくれた、今週の私の星座は「登場人物が多すぎる!」らしい。爆笑した。

昨晩、自分で、コーチにそう言ったばかりだ。

そう、私の人生の舞台は、いま、登場人物が多すぎる。そうなると、どうなるか。

自分は主役とともに、更に三役くらいやり、他の登場人物にそれぞれセリフを割りふり、そして舞台監督までやる、そんな感じだ。

錯綜しないように気を付け、五種類くらいの連絡手段を使い分け、次々と何かしなければならない。凡ミスもする。疲れもする。

そういう時もある。人生の舞台で、そういう時もある。ある意味、幸福だ。

3歩進んで2歩さがる

昔、そんな歌があった。

何でわざわざさがる?とか、それでは進まないじゃないか!とか、ムダなことして~……などと、あの頃は思った。

だが、有るんだよ。3歩進んで2歩さがることが。それでも、一歩前進している。

大人になると、それが分かるし、そう思えるし、それを経験する。

さて私は、この二日ほど、3歩進んで喜んで、二歩下がって愕然とし、気を取り直してこれ以上は下がらないように努力する。なんて日々を過ごした。

一歩は進んだ、下がってはいない、踏みとどまっている、と自分に言い聞かせて。

起業家と経営者は違う

起業と経営は、全く別のフェーズの気がするし、その必要とされる能力とセンスと資質は違う、と。

起業は、次々と状況が転換し、次々と勝負時が訪れて、戦略も戦術も目標さえも変えなければならない。

借金もどんどんしなければならない。返してなんかいられない。更に借りるのだから。

ファンドレイジングの能力が必要だ。ファイナンスの才能が重要だ。資金の配分はビジョンと結び付く。

経営は、借金を返し、足腰を強くし、無駄を省き、マイナスを減らす。会計能力が必要だ。入りを計って出を制す。資金配分は、経理会計の観点から行われる。

両者の決断の価値判断は、異なる。異なって当たり前だ。

例えて言えば、戦時と平時だ。将軍と書記官は違うだろう。…ここは、某マンガを思い浮かべた(笑)

政治家でいえば、選挙時と議員時代だ。議員としてはダメだが選挙の強い政治家はたくさんいる。あ、議員してても政局と呼ばれるものがあるけど。

とにかく、起業と経営は違うし、起業家と経営者は、違うのだ。

コンフォートゾーンから出て

初めてのことをやっていると、苦手なこと、分からないこと、何となく嫌なことが、多い。

慣れないから居心地悪いし、知らない世界だから正しいのかも分からない。これまでの感覚とは違うから、これでいいのかと不安にもなる。

知っている世界で生きていた時は、嫌な予感や不安を感じたら「これは直感が私に教えてくれているんだ」と、その道に進むのをやめる。

しかし、今は違う。自分はこの世界を知らないのだから、自分の直感なんて何の役にも立たない、と言い聞かせながら進む。

これこそコンフォートゾーンを抜け出しているのからなのだと、考える以外にない。

しかし、本能が教える直感だけは、逃してもいけない。難しいところだ。(笑)

励ましと教えと戒めは、自分の成功体験と不成功体験(笑)、友人や先輩たちの助言、そしてある方の見本だ。

縁を切りたい相手とどうやって縁を切るか

経験のあるビジネスパーソンに、聞いてみたい。

それは「仕事で縁を切りたい相手と、どのように縁を切っているのか」ということである。

例えば、倫理も論理も通じない。一刀両断しても、餅のようにくっついて斬れない。相手の嘘を見破って突いたとしても、何やかんやと返される。明らかな矛盾を指摘しても、これまた取り繕って、どうにかしてしまう。

「どんなに高くても、お金で解決するなら、安いものだ」という慧眼も通じない。

世の中に、こんな凄い人がいるとは思わなかった。もういまや、どうしたら縁が切れるのかとばかり、考えている。

フェードアウト、金で方をつける、次第に疎遠にする、……。

何か、本当にその人に対して実行可能な、真にその人に対して効果のある、論理も倫理も通じない相手に通用する、そんな方法や知恵はないものか。

那覇空港で、一人飛行機を待ちながら、考えている。だれか、教えてくれて~( ̄^ ̄)

 

空港を楽しめなくなる時

どうしたことだろう。

あんなに楽しかった空港が、それほどでもなくなった。ちっともワクワクしない。ちっとも滞在時間を楽しめない。1ヶ月に一度空港を使い始めたからか、今月は2度目だからか。

昔、新幹線に乗るのが何となく楽しく、そして駅も楽しめたものだ。隣のサラリーマンが、戦い終わった雰囲気で乗り込み、ビールを飲んで疲れはて、新幹線を単なる交通機関としてしか見ていないような様子をみて、あんな風にはなりたくないな、などと思っていた。無知だった頃の私。(笑)

ほんのちょっと前、飛行機に乗るのが楽しみで、空港で何となく時間を持ち楽しんだものだ。隣のビジネスマンが、闘いに行くかのように空港に着き、走って飛行機に乗り込むのを目にして、可哀想に人生楽しめなくて、などと見ていた。愚かだった頃の私。(笑)

そして今、やっと彼らのことが分かるようになった。仕事で新幹線や空港を使うとは、こういうことだ。こういう風になる。

もう、無知でも愚かでもない私。そして、もうシンプルさも楽しむ力もない私。( ̄^ ̄)

この人にルビコンを渡らせたのは私

大学をつくると言って動き始め、その道程の第一歩として、まず小規模保育園をつくることになった。

大学の設立や建設に比べれば、そりゃあ小さい。しかし、それ自体は責任も重く、大変な仕事だ。

理由は様々だが、保育園設置の途中で去っていたものもあるし、なかなか来れない人もいる。

その中で、自身の仕事の合間に手伝い続けた理事の一人が、遂に保育園業務に専念するために職場に退職の事前通知を出した。「もうサイは投げられた」と彼はメールに書いてきた。

ゾッとするほど、身が引き締まった。

私自身は、とっくの昔にルビコン川を渡っている。自分のことでも、勇気が要った。でも、今度は違う。

この人を雇用するのは私だ。この人に給料を払うのは私だ。この人にルビコン川を渡らせたのは私だ。

自分でない人間に渡らせるルビコンは、自分で渡るルビコンよりも、深くて怖い。