服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

先達とは、先にその景色を見ている人、先にその労苦を乗り越えた人

先達とは、歴史上の人だけを指さない。

先達とは、自分より年上の人だけを指さない。

この年になって、起業したり、新しい分野に入ったりすると、周りは先達だらけだ。

そこに年齢や立場や経歴は、関係ない。

毎回、頭(こうべ)を垂れる人ばかりだ。

皆、労苦を惜しまず、知恵を絞り、ハプニングも試練も、危機も乗り越えている。

そして、それぞれの場で、本人が到達した、その景色を見ている。

凄いことだ。

素晴らしいことだ。

つまりはメンタル!なんです人材の悩み。経営学の人的資源における「心理的資本」

経営者は、人材、事業、資金で、順繰りに悩む。ちなみに以前は、ヒト・モノ・カネと言っていた。

さて。

経営者になって、本当に、上りスパイラルのように、この3つの課題に直面する。

スパイラルと表現する理由は。

資金の課題は、桁が上がる。事業の課題は、高度化する。そして人材の課題は、時代の変化で移ると論じられるように、変化する。

すなわち。

人材の悩みとは、

経済的資本「何を持っているか」→人的資本「何を知っているか」→社会的資本「誰を知っているか」→心理的資本「ポジティブな心の状態であるか」

実際。

今は、人材に関する課題は「職員の心の状態」に悩みが多いのである。

我が法人は、福利厚生で、コーチングとカウンセリングを、希望すれば受けられるようにしてある。

だけど、受けてほしい人は受けない。

そして、メンタル理由の休職は、常にある。

法人運営の課題は、メンタル、メンタル、メンタルである。

蒼蠅驥尾に伏して万里をわたる 司馬遷・史記

中国古典の一文は、その文化のうちにある、偉人や哲人、英雄や宗教家のあらわす文の、至るところに表れる。

初めて、鎌倉時代日蓮の文に、これを見つけた時、深い意味までは分からなかった。

その後、偶然に出典を辿ったり、他の哲人の表現に出くわしたりして、思った。

そうか、偉人達の解釈、その経験の深さ、時代への転換、そして覚悟によって、違うのだ。 

ましてや、読み手である自分、受け取り方、自分の経験と人生によって、どんな一文も、変わってしまう、と。

この言葉。おそらく、私の人生で3度目の、解釈の転換、受け取りの変換である。

『エフェクチュエーション』これこれ!「手持ちの手段から新しいゴールを‥‥」

サラ・サラスバシーの研究。

多くの起業成功者をリサーチした結果。

要約すると。

「優れた起業家は、目標を設定し、そこから逆算して計画を作成する逆算思考型ではなく、手持ちの手段から新しいゴールを発見して、自分をコントロールしながら、新たな未来を創造していく思考法である」

これです。

エフェクチュエーションと言うらしい。

私は、この方針、この戦法(笑)に、切り替える。

ほんとう言うと、自分の必勝パターンを変えるのは、少しこわい。

だが、変えるべき時が来た、と思う。

「これが大将軍の見える景色です‥」キングダム大将軍の帰還

僅かに空いた時間と、上映時間がうまくマッチングして。

滑り込んで、映画「キングダム・大将軍の帰還」を見た。

もう、名セリフ名文句のオンパレードで。だからといって暗闇でスマホに打って、記録するわけにもいかず。

大沢たかおの、顔も喋りも原作コミックに、見事に寄せる俳優魂に、感動して。

私は、心の中での独り言喋りが、王騎になってしまい(笑)

とにかく。良かった〜。

終わってスマホを開いたら、今は沖縄にいる夫からの着信が、いくつも。

キングダム、上映中に時間を見つけて、一緒に見ようね、と言っていたけど。

ごめんね。見ちゃった。(^^)

 

見聞きすることは、全てがフィージビリティスタディになってしまう

たとえば

何にもしないで、ぼんやりしている。 

ただただ、車窓から、街を眺めている。

仕事に関係ない本を、楽しんで読んでいる。

治療とか検査とかで、医院等に行く。

街角や旅先で、パンフレットや無料冊子を、手に取る。

それなのに。

観察している、考えている、想定している。

何ということか。

気がつくと、フィージビリティ調査をしているのだ。

この場所での実現可能性、この分野への転換可能性、この職業への導入可能性、それを探っているのだ。

世の中の、社長や代表や起業家って、多分、みんなそうなんだろうなぁ。

創業・起業は何もない、から始める。実はアドバンテージであり価値である。

起業とは、ほぼゼロから始めることだ。

資金、事業、人材、何もないところから始めるのは、なかなかにキツい。辛い。大変だ。そしてリスキーだ。

経験もない、お金もない、蓄積もない。自分以外、誰も何かやる人はいない。そしてリスキー。

そう思っていたし、実際そうだ。

だが、だからこそ『無いという価値』がある。

思い込みがない。しがらみがない。縛る人はいない。自分が向かい合うものに対する、偏見もバイアスもない。

ということで。

起業は、無いという価値がある。創業は、リスクという冒険がある。

7年立って、初めて、ゼロ地点の良さを、起業の価値を、創業の価値創造を、確信した。