私が考えている沖縄グローバル大学は、3ガレッジまたは3学部の構成だ。
高度保育専門職大学、またはこども学部。科学技術専門職大学、または、科学技術学部。そして国際教養学部。
どちらにしても、沖縄グローバル大学に入った学生が、必須に学ぶべきは、国際教養だ。さらに言えば、哲学だ。
人間が凄くなればなるほど、AIが凄くなればなるほど、世界が凄くなればなるほど、必要なのは、哲学だ。
そして哲学とは『人間学』だ。
私はそう思う。
ここのところ、職員や誰かと1on1で話していて「ああ、これは、この人の、人生の伏線回収なんだな」と思うことが多々ある。
もちろん、自分もそうだが、他人のことは、もっとクリアにそう思うし、そう分かる。
そして、その話し相手は。
苦しかったこと、悔しかったこと、理不尽だったこと。
それも、いま、実はこの為だったんだね、と聞き役の私と共に、相手が眼を開く。
無駄に思えた時間、その時は深く関わらなかった人、何かを得たのにお礼を言えなかったこと。
それも、今になって、ああ、今なら、この事が活きる、と分かるのだ。
「宿命は、覚悟をきめれば、使命に変わる」という言葉がある。
「人間五十にして天命を知る」とも言う。
つまりは、大抵の人間は、ある年齢になったら、すべての出来事が、無駄ではなかった、と分かるのだ。
さあ、私も伏線を大回収して、使命をはたし全うするぞ、天命をまっとうするぞ。
今度、本を出版することになる。
『女の子とバケツのお話し』という。児童書にはいるのかな。
実は、数年前に、手刷りで、大学創立のパンフレットをつくった。
その時に、童話のような、おとなの絵本のような、お話しを付けて、やはり手刷りで、最初に、友人知人達に配布した。
すると、数人の友人たちが「この物語がいい。これをもっとちょうだい」「この絵本、友達に渡したいから、副読本として、パンフレットとセットで配布したら?」と言う。
ということで、パンフレットの副読本として、同じ冊数だけ、手刷りした。
業務用カラーコピーで、何度も追加で印刷し、たぶん500冊くらいにはなったかと思う。
さて。
縁あって、今度、その本が、出版社から、単独で出版される。
違う画家の挿し絵で、文章も削ったり短くなったりして、タイトルはそのまま『女の子とバケツのお話し』。
著者名は「こえちかな」
私が小さい時に、遊びで使っていたペンネームの一つ。
11月22日に、発売される。
ありがたいことだ。
私は、結婚して三十代で、某名門大学に一般入試で合格し、通った。
卒業はしなかったが、妊娠出産や、通訳仕事、そして私事の関係で、休学を含めて8年在籍した。
その8年の学生生活で、何度も思い出す、何気ない講義での討論がある。
ある男子学生がスピーチし、皆から質問を集める時間になった。私が質問した。
ちなみに、私はその時、彼らより12歳くらい年上だ。みんな私がその年類と経験であるとは、知らない。
「あなたが主張するところの、元となる『日本人』とは何ですか」
すると、その学生と、その主張に賛成していた、二人の若い男子が、怒りだした。
質問して、反論されるならともかく、怒りだすなんて、ちゃんちゃら可笑しい。
だが、二人の男子学生は、その自分の定義を言うのではなく「そんな質問は変だ」とか「そもそも、日本人とは何かなんて、決まっているじゃないか」と言う。
その時の質疑応答は、何ら価値を生まなかった。だがもちろん、物事は後から価値を生むこともある。実際に、その事を思い出し、あらゆるテーマやあらゆる視点で思考する、という価値を私に生み出した。
さて、人口問題やその他のテーマで、最近よく、それを思い出す。
一度、怒らずに、興奮せずに、活発な論議で「日本人」を再定義してみないか。
この時代、日本人とは何かを再定義して、初めて解決できることは多いと思う。
3年前、ひとつの保育園で、大きな危機が来た。
上階の某施設の水道管が、真夜中に破裂して、園全部が浸水災害となり、保育園存続が危ぶまれる事態だった。
現場も、この為の金銭的な面での、代表としての私は、地獄の苦しみだった。
乗り切った。
そして、一昨年の今ごろ、もつれて長引いた、その被害を補償すべき会社と、保険金交渉をしていた。保険会社が二転三転して、一年かかったのだ。
ハードだった。が、相手の会社は誠実で、私自身もトップとして交渉の才能を開花した頃だった。充分な保険金額を獲得した。
乗り切った。
そして、昨年の今ごろ、相手側から、現場の責任者である園長の不誠実を訴える文書が、トップの私宛に来た。
寝耳に水の、自分達側の不誠実だった。相手側は一年間、園長とやり取りしたらしい。
すぐに、返済すべき額を振り込んだ。そして、相手側には誠実に、自分側には心を鬼にして調査をした。
顧問弁護士さんの指導のもと、園長にはかなりの温情にし、副代表等を減給にする処分をした。相手側にも報告をした。
乗り切った。
今は、その保育園は、事務長のもと安定している。
振り返ると、三年間、毎年、同じ時期に、違う嵐を乗り越えたのだ。園も、副代表の夫も、私も。
おととい、四園の園長会議をした。和やかで建設的な会議。
私だけが、頭の中で、その事を振り返っていた。万感の思いだった。
ここまで来た。
かつて、ゼロから1にした。
その時の、何というか、絶望感と確信、焦燥感と集中力、凝縮した辛さと希望のある苦闘。
それが“突破”というものだ。と捉えていたから、頑張れた。
始めに聞いていた、指針と忠告。
「0を1にするのが一番大変。1にさえしたら、1から10の段階へはあっという間だ。0を1にするのと同じ力でいける。10の壁を越える時はまた大変。10の壁を突破したら、次は100の段階まで、同じ力でいける。だからね、とにかく、0を1にするんだよ」とい言葉を、信じてやってきた。
そして、どうやら、今、10の段階の壁を打ち破る時に、あるらしい。
そう捉えたら腑に落ちるし、そう考えれば智恵とやる気がでる。
さあ、命名された“智恵”を発揮して、多動(笑)の欠点を長所に変えて、得意の“突破”に向かおう。