服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

弥縫策(びほうさく)と抜本的対策の間には、何がある。見逃しと見逃さない、のあいだには何がある、

いま、私の前には、どうにかしなければならない問題、課題がある。

しかし、なにも私が、取り組まなくともよい問題だ。

むしろ、「余計なお世話だ」「君の出る幕ではない」と言われるかもしれないところの問題だ。

でも、では本当に、私は「It's Not My Business(私には関わりのないことです)」と言えるか?

そんなことは言いたくない自分、言えない自分がいる。

心の中で。

誰かがやるよ、やる人がいるよ。私はお呼びでないよ。

いやいや。誰もやらないよ、私以外、誰も出来ないよ。

綱引きのように、引き合う。

振り子のように、振れる。

どうしよう、どうすればよいか。

前進や変化の手応えがなくとも、必ず良くなると信じている

物事は、すぐに変わるということはない。今を生きていて、そう思う。

同時に。

変化は、突然おとずれる。歴史を学んで、そう思う。

どっちも真実なのだ。

状況や時代は、悪化するばかりだ。現在を見ていて、よくそう思う。

同時に。

世界や時代は、結局はだんだん良くなってきている。少し長いスパンで考えると、そうだと思う。

人間を、人類を、つまりは自分という者を、諦める時もあるが、信じる時のほうが、多い。

楽観的だな、私は。“南方性の娘”だからか。

大人なんだから、自分のご機嫌くらい自分で取りなさいよ、責任をとる以前の問題です。

保育園をやってると、分かる。子どものご機嫌をとるのが、どれだけ大変か。

保育士はスキルがあり、一歩おいて自分の子どもじゃないし、チームでやってるので、どうにかやりきれる。

自分の子どもを育てていた時は、ご機嫌を取っている時に「もうっ。こっちが泣きたいよ~」と、叫びたいことが何回もあった。

さて。

いまテレビで、選挙後の大人の、いわゆる政治家の、様子を見ていると、思う。

「ああ、何にも分かってないんだな。こっち(一有権者)の気持ちを」と思う。

子どもの面倒見てた時は「親の気持ちなんか、分からなくて当然だよね」だった。

で、さらに、思う。

「大人なんだから、自分の機嫌くらい、自分で取りなさいよ」

責任をとる以前の問題だし。

評論家でも分析者でもなく、実行者になる難しさ

「以前より警鐘を鳴らしていた」とか。「何年も前に、予言・予想していたとか」とか。「勝因敗因を的確に分析する」とか。

それがどうしたと言いたいが、それは確かに難しいことだ。

だから、頭が良い人は、全力で鋭い評論家になる。冷静な人は、集中して、的確な分析家になる。

だけど、やっぱり、それがどうした、だ。

世の中に必要なのは、実行する人だよ。世界に必要なのは、実現する人だよ。社会で重要なのは、実践する人だよ。

昨日、自分が昔書いたものが見つかった。

読み返して、「ああ、自分はこの後、『実行者』『実現者』『実践者』になる」と決めたんだな、と思い出した。

レジャーまたはエンタメとしての政治番組を、梯子する

公共政策アドバイザーというか、選挙プランナーというか、以前、そんなことをしていた。

もうすっかり、離れた。

もうすっかり、忘れた。

だけど。その関係で、総選挙が終わった後の、きのう今日、結構、楽しんだ。

ワインを飲みながら、選挙速報。

ワインを飲みながら、選挙分析。

ワインを飲みながら、政治分析。

気楽というのは、こんなにも、物事を楽しめるものなのか。

テレビを見ながら言いたい放題。

テレビを見ながら突っ込み放題。

テレビを見ながら分析し放題。

楽しいね。

まるで。レジャーだ、ゲームだ、エンタメだ。

アアカデミックの世界では『健全な猜疑心』と『健全な野心』が必要だと思う。

子ども学会という学術学会がある。

年に一回は大会があり、今年のは9月に青森であった。来年度は秋田大学での開催が決まっている。

そして、もしかして再来年は、沖縄で開くかもしれない。

夫がその理事で、開催の名乗りをあげてしまったのだ。競合相手ががなければ、そうなる。

このやろう(笑)。誰がやるんだよ。

うちの法人と保育園グループには、開催場所も、開催実力も、ないんだよ。職員にはアカデミック概念も、まだない。

「大会長は、君だね」なんて、笑いながら言う。再び、このやろう(笑)。大会長は、お前だろう。

それでも、勝利への逆算を始めた。破綻せずに進めて、大成功するには、と。

まず。我が法人全体を、子ども学会の学術大会を開催できる境涯にすること。

次に、職員全体を、全国範囲のイベントを大成功できる実力にすること。

そして、保育者全員に、アカデミック・センスを身につけさせること。

実際にはまず、今回の大会での、二人の看護師さんのポスター発表を、成功させた。

夫は自分のラウンドテーブル発表の作成に、若い職員を参加させた。

そして、昨日、三園合同研修会で、子ども学会の紹介プレゼンと、二つの発表の報告、そして、もしも私がポスター発表するならの設定で、全職員がワークショップをした。

ワークショップの発表を聞いて、その私の講評を聞いている皆の顔を見て「あ、今日、成功への一歩を踏み出したな」と思った。

そこには、アカデミックの成功に必要な「健全な野心」と「健全な猜疑心」の芽生えがあった。

事業や経営においてのステルス進行の時期(?)だから、気分は多忙で、見かけは多動(笑)なだけ

何というか、経営でも運営でも、事業推進でも、見かけは静かで休んでいるようだ、というのがある。

私は、いま思考は多忙だ。構想とか、長い振り返りとか、整理とか。戦略を練るとか。それで調べものをするとか。

そうして誰か、ブレストのような対話で、SNSでぶつけてみるとか。

また、複数分野のことを、同時に進めている。それは目に見えない。

サポートをしてくれる夫は、朝、「ゆっくり休んでね」と言って出かける。それは、ゆっくり考えてね、ゆっくり思考に没頭してね、という意味だ。

確かに。身体はゴロゴロしているが、頭が超多忙なので、休んだ気がしない。

ガバッとおきてパソコンを打つ。多忙感マックス(笑)。

つまりは、事業や経営において、ステルス進行の時期なのだ。