古来より。旅と移動、それと学びと成長と変化は、切り離せないものだ。
聖地巡礼は、宗教的成長の結果であり、きっかけである。
何か新しいものを学ぼうとしたら、この地にないものを求めて、彼の地にいく。
他国の文化や文明が進んでいたら、学ぶためにそこにいく。
旅は、新しいものとの出会いであり、それはつまり学びだ。成長だ。変化だ。
日常と異なる場所にいくと、日常のうちに積もった思考が、表に出て成形されるときがある。
いつもの生活の場所、仕事の場所には、磁場がある。何かの拍子にその磁場から出ると、不思議に思考も成長する、変化する。
いま、私は日常の場所、その磁場を離れて、ある場所にいる。距離は近いが、日常の磁力は及ばない。
するとどうだ。
長い間、目をそらしていた事、頭に浮かんでも追求しなかったことが、クリアに結ばれて形をなす。
あやふやだったことが、確実な言葉となって浮かびあかる。
移動は、旅は、ありがたい。