服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

通訳という天職を得て幸福だった、今の大学創立の事業は使命、後に天命に生きるつもり

二十歳を過ぎて中国語を始めたのに、通訳になれた。

強運だった。向いていた。

時代が、状況が、大量の中国語通訳者を必要としていた。オン・ザ・ジョブ・トレーニングで、あっという間に同時通訳になった。

楽しくて、楽しくて。好きなことしてお金が貰えるなんて、嬉しいばかり。

NGO団体の公認通訳にまでなれた。「天職」という言葉が、ピッタリだった。

途中から重なって、選挙プランナーをやった。公共経営と称していた。これも向いていた。「天性の勘」と、1年に200〜300冊読み込んだ知識量で、勝率は抜群だった。適職だった。

ある時、同時通訳ブースの中で、「あ、自分の通訳としての使命は終わった」と思った瞬間から、もう通訳は楽しいものではなくなった。終わったのだ。

私の直感は、自分にも当たる。

選挙プランナーも、あんなに愉快で、痛快なものはなかった。

だが、ある時、興味を失った。

そして今、私は、自分の使命を見つけて、動いている。

沖縄に大学をつくるのは、私の使命だ。使命を果たせず、人生を終わらせることはできない。

それが果たせたら、その後は、天命に生きる。