服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

一度、怒らずに自由闊達に「日本人」を再定義してみないか。人口問題もその他の課題解決にもそれが必要だ。

私は、結婚して三十代で、某名門大学に一般入試で合格し、通った。

卒業はしなかったが、妊娠出産や、通訳仕事、そして私事の関係で、休学を含めて8年在籍した。

その8年の学生生活で、何度も思い出す、何気ない講義での討論がある。

ある男子学生がスピーチし、皆から質問を集める時間になった。私が質問した。

ちなみに、私はその時、彼らより12歳くらい年上だ。みんな私がその年類と経験であるとは、知らない。

「あなたが主張するところの、元となる『日本人』とは何ですか」

すると、その学生と、その主張に賛成していた、二人の若い男子が、怒りだした。

質問して、反論されるならともかく、怒りだすなんて、ちゃんちゃら可笑しい。

だが、二人の男子学生は、その自分の定義を言うのではなく「そんな質問は変だ」とか「そもそも、日本人とは何かなんて、決まっているじゃないか」と言う。

その時の質疑応答は、何ら価値を生まなかった。だがもちろん、物事は後から価値を生むこともある。実際に、その事を思い出し、あらゆるテーマやあらゆる視点で思考する、という価値を私に生み出した。

さて、人口問題やその他のテーマで、最近よく、それを思い出す。

一度、怒らずに、興奮せずに、活発な論議で「日本人」を再定義してみないか。

この時代、日本人とは何かを再定義して、初めて解決できることは多いと思う。