信用とは、相互のものだ。
信頼というのは、やはり相互のものだ。
学生の頃、または女性団体に所属していると、よくある事例。
たとえば、私とある人が仲違いしたとする。すると二人が所属?していたグループや、二人の共通の友人達は、どちらの味方になるか?となる。
この時に、私の言い分は信用せずに、一方的に片方の言い分を信じ、味方になる人がいる。
若い頃は、傷ついた。必死に、自分を分かってもらおうと、話したり訴えたりした。
だが、いつの頃か。たぶん起業してからだ。
間に断つ人が一方的にあっちの味方をし、私を信用信頼しなくても、平気になった。
その人の信用を取り戻すために頑張る、ということはやらなくなった。
その人は、私を信じないのだ。その人は私の言い分を信じないのだ。
そんな人の信用信頼なんて、私は必要か?
そんな人の信用信頼を得るために、心を尽くして、時間を使って、必死になる必要がどこにある?
と思うようになったのだ。
あっちが友人としての私を捨てたのだ。私は捨てないが相手にしないことにしよう。無駄に傷つくだけだ。
あと。ある先輩から、こう言われたこともある。
「有名税というのがある。立場が高くなると、無駄に批判され、意味なく非難される。なぜだか悪者にされる」「なぜか噛みつかれる」
そういわけで、私は、私の本当を知らない人や、私の言い分を信用しない人から、非難されても、平気になった。