服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

私は、私の言い分を信じてくれない人の、歓心を買う気も信頼する気もない。

信用とは、相互のものだ。

信頼というのは、やはり相互のものだ。

学生の頃、または女性団体に所属していると、よくある事例。

たとえば、私とある人が仲違いしたとする。すると二人が所属?していたグループや、二人の共通の友人達は、どちらの味方になるか?となる。

この時に、私の言い分は信用せずに、一方的に片方の言い分を信じ、味方になる人がいる。

若い頃は、傷ついた。必死に、自分を分かってもらおうと、話したり訴えたりした。

だが、いつの頃か。たぶん起業してからだ。

間に断つ人が一方的にあっちの味方をし、私を信用信頼しなくても、平気になった。

その人の信用を取り戻すために頑張る、ということはやらなくなった。

その人は、私を信じないのだ。その人は私の言い分を信じないのだ。

そんな人の信用信頼なんて、私は必要か?

そんな人の信用信頼を得るために、心を尽くして、時間を使って、必死になる必要がどこにある?

と思うようになったのだ。

あっちが友人としての私を捨てたのだ。私は捨てないが相手にしないことにしよう。無駄に傷つくだけだ。

あと。ある先輩から、こう言われたこともある。

有名税というのがある。立場が高くなると、無駄に批判され、意味なく非難される。なぜだか悪者にされる」「なぜか噛みつかれる」

そういわけで、私は、私の本当を知らない人や、私の言い分を信用しない人から、非難されても、平気になった。