服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

大学は総合安全保障機関でもある

私が北京に留学したのは1980年から。中国がまだ完全に途上国だった時で「改革解放」をやっと打ち出したころだ。

当時は、国自体が貧しく、外国人と中国人の実質の生活費が10倍くらいかそれ以上の差があった。

貨幣さえ、外国人と中国人が使うものは違う。とにかく中国はまだ国際社会にドアを開けたばかりの国で、たくさんの円借款も入っていたころだ。

しかし、それなのに、北京言語大学にも北京大学にも、アフリカや中東やアジア、ヨーロッパやカナダやオーストラリアなどの世界からかなりの留学生がいた。貧しい国費留学生とお金のある私費留学生だ。

いったい、国は貧しいのに、なぜこれほどの数の留学生にこれほどの国費を使う?という私の質問に、ある教授が答えてくれた。要約すればこうだ。

「大学というのは総合安全保障機関でもあるんだ。どんな武器や軍隊や協定よりも、いつか、あらゆる場所で、あらゆる所で、あらゆる形で効力を発揮する」

貧しい人や貧しい国からの留学生にとっては、この国にお世話になった、この大学留学のお陰で人生のステージがあがった、ここは私の第二の故郷だ、となる。

そして、そこで培った世界規模の友人の人脈は、いつか友好や利害や経済のネットワークとなる。

いまのアメリカがやっていることを、当時の貧しい中国はやっていたのだ。しかもアメリカや日本が手を伸ばしていない地域の学生に。

当時、いや今でも、日本を見渡してもそういう視点の大学は見当たらない気がした。留学生は、単なる定員数か単なる留学生だ。

私の頭の片隅に、大学に関する新しい視点が根を下ろしたのは、この時だ。