服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

つまりは、結構な怪我だったわけで(笑)、いやいや意外と手の甲は重要だということが分かったわけで

いまだ、左手が痛い。

タクシー追っかけて、コンクリートに強かに打ち付けて。で、そのまま強行軍して(笑)

両膝は、触れば痛いだけの状態になった。

だが、どういうわけか。当時それほどでもなかった左手が、やたら痛い。

ペットボトルのキャップが、開けきれない。そうか、開栓する時は左手も使っていたのだと覚る。

パソコンで文書作成していたら、左手の甲が痛い。そうか指だけで打ってたわけではないんだな、と悟る。

お皿を洗う時は、……。ハイハイ、言ってみました。

とにかく。手の甲って、意外に使っているのだ、と分かった、この10日間だ。

トップの判断決断の難しさ、公衆衛生かワクチン接種か、人財で泣いて馬謖を切るか信じて守るかも

小さな組織のトップになって、私は、理屈ではなく身で分かったことがある。

「トップの判断と決断」というものの難しさだ。個人の時の判断・決断と、リーダーやトップのそれとは、本質的に別物である。

グループや組織のリーダーやトップになると、

たいていの問題、たいていの判断・決断は、50対50だ。

構成員の意見は、実際のパーセントに関わらず、賛成反対50対50になる。情報も分析も判断材料は、50対50になる。シュミレーションも、50対50になる。

どうするか、どうなるか。

物事が一つ右に動く。49対51になる。決まりだ。右だ。左がどんなに私を批判しても、右になる。

一つ左に動かしてみる。51対49になる。決める。左になる。右がどんなに私を罵っても、左にする。

一番の悪は、判断できないこと、決断しないことだから。

こんな小さな組織でも、そうだった。5人の時も、100人になっても。ましてや。

だから、私は。

会社の社長や、首長や総理大臣、グローバル企業のトップに対して、見る目や思いやり(笑)が、変わった。

鼎(かなえ)を考える「3本足はぐらつかない」

きっかけは、春秋左氏伝の「鼎の軽重を問う」を学んだ時だ。

これは、為政者やトップ、リーダーの、実力は如何がか? ぶっちゃけ、駄目なら民の為に引きずり下ろそう。という意味だ。

その時の講義では、そこから、鼎(かなえ)という3本足の、王の象徴となる杯・器の、話になった。

また、そこから、3本足や、3人組、三か国、等の話になった。

2では割れる、立たない。4ではまた2に割れる、またはグラグラする。

鼎談(ていだん)、鼎立(ていりつ)はなど、三つがなぜ良いか?……。

数学の「直線や平面の位置関係」で、3本足の椅子が不安定な地面でもぐらつかない、ことの証明まで、出された。

あんな面白い講義は、何十年たっても、心に残り、思い出す。何十年も前の、北京大学のこと。

あれは、今でいう「グループダイナミックス」だ。

で、私はその後、プロジェクトを主導したり、組織を作ったりする時に、常に鼎(かなえ)つまり、三というグルーピングや、3という体制を考えて、実行実践している。

「経営者には4つの働く場がある。会社の起業、成長、拡大、再建」ハルメク社長・宮澤孝夫

テレビ東京の『カンブリア宮殿』の録画を見た。すると。

「なぜ華麗な経歴のあなたが、破綻した会社の再建に、向かったのか」という質問。

答えるのは、ハルメクHDの宮澤孝夫社長。

「経営者には、働く場が四つある、と思っている。

①0から自分で起業する。

②事業の芽は小さいが、小さな会社を大きくする。

③かなり大きな会社を、さらに大きくグローバル企業に展開する

④破綻した会社を立て直して、利益が出るだけじゃなくて良い会社にする。

ですと!

さすが。知らなかった。素敵だ。世界が拡がった。そうだったのか。

榊原洋一氏のブログ『私の生きがいは「小医たること」』を読んで、不覚にも電車の中で泣き出した

日本こども学会理事長で「NHKすくすく子育て」の医者、お茶の水女子大名誉教授。他、数々の社会的な責務を担っている。

その方のブログを、読んだ。

余りにもの腹の据わった、清々しさに、不覚にも、電車の中で涙しそうになった。

凄い人は、こうやって、社会的立場や、地位や、役職を、自然のうちに誰かに譲ろうとする。

その設立した組織の、今後のために、布石を打つ。

既に、自分については、もう欲もない。

しかしながら、周りの人、たとえば私何かは思う。この人が退いたらどうすればいいのだ、と。

女の子とバケツ「あの2行は私のことかと疑っている(笑)」と恩師に言われて気がついた

早稲田の社会人(向け)大学院の恩師の、誕生日を祝う会に参加した。全員女子ばかり。

私は自著の大人の絵本「女の子とバケツのおはなし」を、人数分持っていって、プレゼントした。

しかし、恩師は、既に私の著書を購入していて、読んでいた。何しろ恩師は、手刷りカラーコピーの時のも読んでくださった方だ。

そして恩師が笑いながら言った。

「実は私のことではないかという、疑惑があるのだよ」と、ある2行を見せた。

血の気が、引きましたね。(笑)

出版にあたって加筆した数行のうちの2行だ。あんなに削ったので、代わりに数行を加えた。

この2行を書いたときは、全くそのつもりではなかった。たくさん言われたことを、凝縮して、無意識にオブラートにつつんで、一人の人の言葉とした。

でも、恩師に言われて改めて読んだとたん「確かに、この口調と台詞は、このT先生だ!」

恩師の指導室での、冷静な口調での、数々の厳しい指導を、思い出した。この台詞、この言葉。

……間違いない、そうだ。(笑)

私は、この2行が、急に愛おしくなった。

そうか、私は、知らずに恩師を、自分の物語に、登場させたんだな。

復帰前後の知事。重圧と風圧の高い場所で生きた人、その大変さに比べれば。

組織の長というのは、重圧の高い責任職だ。

私が尊敬する、沖縄復帰前後を担った知事のこんなエピソードがある。

「毎晩、お酒を飲まなければ眠れなかった。知事を終わったとたんに、その日から、パタリとお酒が要らなくなった」

本当に、ほんとうに、責任者・トップ・リーダーというのは、重責だ。さらに歴史的一大事の頃の知事というのは、今の知事の比ではない重圧がある。

そして今日新たに思った。

ある番組で、ある著名人の言葉を言葉を聞いた。

「風圧の高い世界で……」

そうか、風圧もあるのだ。

トップや責任者、賞をとる人、才能のある人、成果をあげる人、有名人、歴史の節目で責任者をする人、その立場には大きな風圧があるのだ。

なんだ、小さな組織の長で、大学創立という何百人もが達成した目標の、私なんか、大したことないな。