服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

一つの『師匠道』を見た、気がする

昨晩、某大学の教授と、私達夫妻で食事をした。ほんの2日ほど前の突然の招待だ。

名物教授で、大変に多忙な方だ。

その方が、どうして私達二人を、ある意味、接待の形で食事をするのか。これは何か頼み事かくるのか、と思って望んだ。

そして、分かった。

この人は、師匠として弟子のために、動いているのだ。今度大学院に入る予定の弟子のために、私達に仁義を切ってくれたのだ。と。

教授は、私達が紹介した“社会人学生”と面談・面接して、気に入った。そして、直ぐに、教授自ら、その人が院に入るための戦略をねった。

それを遂行するためには、私達に了承・理解してもらう、とある事があった。

私達にとっては「なんだそんなことか」「良かった」「これで彼の大学院前途は開ける」という大歓迎のことだった。

帰宅後、しみじみと、話した。

「教授、本当に教授として学生の世話をしているね」「弟子になる人のために、小さな懸念も外そうと、師匠として行動してくれているね」「何か、一つの師匠道を見た、そんな気がするよ」

どうして私を起用してくれた、と師匠の偉大さを思い出すとき

これでもかつて、中国語通訳だった。翻訳や、同時通訳や。

21歳の留学から始めた中国語で、バイリンガルでもなく、それで通訳になったのだ。どんなに努力しても、通訳の実力なんて、知れている。

おまけに「沖縄育ち、常識知らずの山猿」だ。ちなみに、ここで自分のことをそう書くのは、本当に、そう言われたからである。

だが、私の師匠は、ある中国の著名人との会食の大会場の末端テーブルに、通訳として私を呼んだ。通訳者3年目。

どのテーブルにも、一人の通訳が付く。実力の順番だ。実は私のテーブルには、中国客人は無く、会食に同席を許されて顔を紅潮させた青年たちだった。

ところが、何が起きたのか。会食の途中で、急遽、私は一番テーブルに呼ばれて、通訳をした。

中華テーブルの向こう側で、師匠が中国要人と会話をしている。それを筆頭通訳が訳している。

私は、テーブルの反対側こちら、2番目に偉い人と2番目に偉い中国客人の、通訳をした。

必死に右の話を聞いて左に通訳をして、左の話しを右に訳して。

と、顔を上げたとき、テーブルの向こうで、師匠が鋭い目で私を見ている。

怖かった。恐かった。畏れを感じた。それほど、鋭い瞳だった。

通訳する度に、顔を上げる度に、眼光鋭い師匠が、こちらを見ている。奥底まで、見透かされる、そんな瞳だった。

あの日から、私の通訳人生は変わった。人生も変わった。

今でも、何度も、思い返す。

あの時、通訳としては最低の、社会人としても成っていない、学歴もない、沖縄育ちの山猿を、師匠はどうして起用したのだろう。

私は、師匠が望むような人間になっただろうか。師匠は、今の私を喜んでくれるだろうか。師匠の成した何分の一でも、私は達成できるだろうか。

「センチメンタルは悪である」とは師匠の言葉だ。だから、私はセンチメンタルにならずに、師匠の教えを実践、実現していくつもりで、記憶を振りかえり、決意する。

事案勃発、1日で決着つける。スピードは命。

ある園で、とある事案が勃発した。いや事案が「発覚した」。

本当は、長くくすぶり、解決せず、自分達の手に終えなくなっても、そういう事態であることを自覚せず、代表の私に報告せず。だった案件だ。

内部のことではなく、外の関係者との間の揉め事なのに、それはどんな小さくとも大きな問題であることを、認識せず。

そして結局。相手側から、配達証明付きの文書が、直接、代表の私宛に届いた。

私がそれを読んだのは、今朝。午前8時。

一日中、自宅事務所にて、頭と電話とmailのフル回転だ。もちろん、予定していた業務は全て飛ばす。

相手先へのお詫びの電話、指示、共有、情報収集、聞き取り、相手先への状況報告、指示、聞き取り、共有、指示、相手先へお電話、‥‥。集中で疲労困憊(笑)

3時頃に、決着をつけた。

相手側「らちがあかなくて。失礼かとは思いましたが、代表の沖縄住所に送りました。代表みずから、丁寧、迅速に、有り難うございます」ということか。

こちらが平謝りの案件だが、その趣旨のことを言っていただいた。

さて、この次の、おそらく長くかかり神経を使う仕事は、保育園しか知らない当該職員たちに、これが、社会においては如何なる事態であるか、それを認識させる“社員教育”だ。

そして、揉め事は、初動と解決のスピードが命であることを、痛感させることだ。

人材を見つけたら、遠慮も恥も外聞も捨てよ。

3年前だったか。2年前だったか。

とにかく、私は当時、ヒトで悩んでいた。職員、人材、人財で、悩んでいた。苦しんでいた。そして強く祈っていた。

同時に私は、「君は巫女か?!」「沖縄の‥、‥ユタですか、あなたは」と言われるほどの変な人間だ。必ず見抜く。そんな自信かあった。

そこへ、ある日。ハローワークに頼んだ募集を見て、とある男性が、厨房の調理師の3人目の求人に、やってきた。調理師経験10年の人材だ。

しかし、面接した関係者は、全員が反対した。暗い。女性がいいのに。ダメだ。と。

意味がないのに、とにかくもう、ほぼ全員が大反対だった。

ところが私は、その人を、聡明、賢明、努力する人、そして使命ある人だと、思った。

私は、いきなり、そう閃いた。なにしろ、巫女は、自分でも自分の閃きをとめられない(笑)。そして、その時の閃きを、私はいま、最大最良の判断だったと、自分で自分を誉める。

私は、突然、こう言った。

「貴方ね。私はあなたを厨房としては、雇わない。断りをいれる。だけど、すぐに、今日、ハローワークに事務員の募集をかける。その気があるなら、すぐに、それを取って応募して、明日、来てちょうだい」と。

さて。

その人は、いま、もう、我が保育園グループ三園の事務局全体を担う、事務長だ。なくてはならない人材である。

我が保育園グループの拡大にしたがって、着実にその器と実力を広げ、かつ未来性を感じさせている。

良かった。あの時、この人を見つけて。あの時、この人を雇って。あの時、この人の潜在能力を見逃さないで。良かった。

限界は、突破する・乗り越える以外に押し広げる方法もある

限界は、突破する、乗り越える、等があある。そして、限界を押し広げるて成長する、というのもある。

今日、沖縄の保育園三園の、合同園内研修会を行った。園内研修会は各園が月に一回行い、そのうち合同研修会は2-3か月に一回くらいだ。

場所は、一番大きな園で、その園の職員が会場準備や設定を行う。今回は約60人超の職員が参加した。数人くらいは都合で、参加できない。

司会・進行・運営は、別の園が担当する。

三園にまたがる保育士等の職員5人が、パワーポイントを使ってプレゼをする。

それを聞いて、約8つのグループが、テーマ毎にワークショップをして発表する。

代表の私は、それを講評する。という感じだ。

ここまで持ってくるのに5年かかった。そして、出きるようになった。

そして、思った。「限界が押し広げられた」と。

限界は、突破するだけでは、ない。

限界は、越えるだけでは、ない。

限界は、「押し広げる」こともある。

今回。限界は突破する以外思いつかない人が、初めて、限界を押し広げた。

これまで。限界を打ち破ることが得意な人が、気がつくと“限界を押し広げる”ことをしてしまった。

今まで。限界を破り続けて人生を切り開いた人が、今回は静かに限界を押し広げた。

進化というのは、そういうことかもしれない。成長と進化は違えし。進化と変化も違うし。

今日は、我が保育園グループが「限界を押し広げた日」だ。

今日は、みらいっこ保育園グループの職員が「限界を押し広げた日」だ。

今日は、本人達が知らないうちに、「限界を押し広げた日」だ。

 

沖縄、暑いぞ。クーラー入れろ。

数日、上京して、沖縄に戻ってきた。

暑い。スーツの上着が重く、暑苦しく感じる。手に持つのさえ、鬱陶しい。(笑)

上着を脱いでも、まだ暑く。部屋に入ってクーラーを入れ、太陽はカーテンでシャットアウト!

誰かが、「地球の横移動は身体にくるが、縦移動は負担が少ない」と言っていた。

うそだ。(笑)

時差のことを言っているのだろう。でもね、気温差だって大変だよ。というか季節差だよ。

距離移動は、縦でも横でも大変だが、季節移動は、時差より影響あると思う。(笑)

 

「私たちは結束しなければ別々に破滅する」

昔、中国に留学していたとき、インド人のルームメイトから、聞いた言葉。

彼女が普通に言ったので、インドまたは彼女が住む地域の、昔からある言葉らしかった。

その時の二人の共通言語は、中国語だった。ので、彼女はそれを中国語で言い、私は中国語で聞き、日本語に訳して記憶した。

「結束しなければ、いっぺんには無くならないが、それぞれが破滅していく」

「いま仲良くしなければ、今団結しなければ、先に誰かが潰されて、次に何処かが滅亡して、そして他のものも終わっていく」

そんな感じの意味である。と理解した。

凄い警句である。

人類が教えてくれる、先達が示唆してくれる、叡知からの言葉だ。

今、地球規模の環境ではそうだろうし、国家間の衝突ではそうだろうし、国内でも有るだろうし。

会社や組織、何かの分野でもある。

共通の敵がいるのではなく、共通の危機にさらされている状態が。