服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

天辺を持ち上げなければ、下も引き上げられない

小さな保育園を4園持っていて、創立して6年のグループだ。今が7年目。

だが、日本子ども学会の2026年度の学術大会を、我が法人が行うことになった。

キャンパスもない、力もない、実績もない。ので、場所は、盟友が理事長を務めるオキナワインターナショナルスクールだ。

二人で大会長をする。

そこで、100人には行かないが、その職員達を、学術大会が、主催出来るように、研修や啓発を始めた。

アカデミックリテラシーを付けることと、主催者力を付けることだ。

既に、毎月最終土曜日の定例・園内研修会で、その研修をはじめた。

同時に「天辺を持ち上げなければ、下も引き上げられない」と、私自身の自己研修を始めた。

何を始めた?は、書かない。

 

「君は現実を直視していない」「私は未来を直視している」激しい会話を思いだす

昔、ある人と交わした、激しいやりとりを思いだした。

あれに対して、こう答え。これの言葉にああ返し。そして、

「君は現実を直視していない!」

「私は未来を直視している! だからこうする!」

「‥‥‥、」

幸いなことに。

その時の話の相手は、この言葉を、浅く捉える人ではなかった。

また、マウントを取る人でもなかった。

その会話が、その後どうなったかは、憶えていない。

馬鹿な大将は敵より怖い、って意外に名警句(笑)

昔、たぶんマンガで、読んだことがある言葉。「馬鹿な大将は敵より怖い」

最初は笑っただけ。実感がなかったから。

だがこの、言い得て妙な、言葉。

人生で何度が、笑いながら実感、痛感した経験がある。

その大将を、選べる立場に私があるなら、自業自得だ(笑)

だが大抵の大将は、選べない。または、直接には、選べない。

あま、私が出来ることは、間接的にでも、馬鹿な大将を頂かない努力をするだけだ。

そして。

自分自身が創った組織で、馬鹿な大将にならない努力をすることだ(笑)

たとえばクレバーとワイズ、「頭が良い」ということを考える

教育機関に属していると、どうしても考えざるをえないことがある。

それは「頭がいい」ということだ。

たとえば。

頭が良いというのは、素質か環境か。

頭が良いというのは遺伝か教育か。

知恵があることと知識があることの関係は。

他には。

聡明と賢明は、どんな頭の良さの違いか(笑)

クレバーとワイズは、どうか(笑)

そもそも。

何をもって頭が良いというのか。

思考は尽きない。

結局、「教育の目的は、子どもの頭をよくすることではなく、その子を幸福にすることだ」ということに落ち着く。

だが、小中高やインターナショナルスクールを視野に入れ、大学を考える、そのことも突き詰めて考えなければならない。

徳川家光の兎の画を、ポンコツと見るか天才と見るか。私には天才に見える

徳川家光の兎の絵。それを見る度に、こう思う。

可愛いっ。キュート。異才。

まるで現代。ポップアート。デザインアート

ハローキティのさきがけ。

しかし、この絵は。家光がどれだけダメダメだったか。どれだけ幼稚だったか。もしかして知恵おくれだったかもという。

その証左として、取り上げられる。

時代が、違えば、認められる

別の文化にいけば、認められる。

性別を隠せば、認められる。

そんなことは、この世界にはいっぱいある。

 

社長と社員の間には深くて暗い河がある♫「黒の舟唄」の替え歌で

「黒の舟唄」という昔の歌がある。

私でさえ、昔の歌と思うから、相当古い。

♫男と女の間には、深くて暗い河がある

誰も渡れぬ河なれど エンヤコラ今夜も舟を出す ローエンドロー 〜♫

最近の私は、これに、社長と社員のワードを当てはめて、頭の中で歌う。

社長と社員の間には、深くて暗い河がある♫

なげなら。

社長は孤独である。社員は、その気持ちをまったくわからない。と私が思っているからだ。

当たり前だ。立場が違う。見える景色が違う。

給料日の意味が、社長と社員では、まったく違う。

資金繰りして期日までに入金し、または入金額を確認する立場の者と。

どうにか凌いで、給料日まで待てば、入金がある立場の者。

資金調達の時に、連帯保証人になる者と、そうでない者。

会社の何かが悪いと、責められる者と、責める者と。

何かあった時に、責任を負う者と、責任を取らなくてよい者。

孤独だ。世の中の社長は、これに耐えている。

ただ、雇われ社長はどうだかは、分からない。私はやったことがないから。

「芝居が上手い人には役がつく」今や日本の政界は劇界になったかも

「芝居が上手い人には役がつく」という言葉がある。映画界、演劇界で聞く言葉だ。

長く活躍する俳優は、芝居がうまい。

シリアスもコメディも、時代劇も現代物も、主役も助演も、ヒーローも悪役も、出来る。

だから、キャスティングされるのだ。

さて。

私は、こう思っている。

アメリカの大統領選は、その時代の、その状況の、最もふさわしい大統領“役”を選んでいる。

キャスティング監督はアメリカ国民。その大型ドラマの主役を選ぶのが大統領選。

主役が決まったら、劇のタイプや色合いが決まる。無意識に、自分達が見たい劇のタイプの、その主役に相応しい人を選ぶのだ。

そして私は今、こう思う。

いま、日本の総理大臣選出も、何か、総理大臣“役”に相応しい人を選ぶ、キャスティング・イベントに、なっている。

だから今後は、ますます、劇的な人が選ばれる。ドラマティックな人が選ばれる。なってほしい人が選ばれる。

総理大臣の仕事が出来る人ではなく、総理大臣の役がつとまる人、あれが主役だと期待できる人、そんな人が選ばれる。

すると。

今後は、芝居が上手い人に、その役がつくのだ。