中国北京に留学して、私は大学や教育について、もう一つの視点、もう一つの知恵を持つことになる。
四年の留学の最初の2年は現在の北京語言大学に、後半の2年は北京大学で学んだ。当時の中国の大学は、学生はすべてキャンパス内の寄宿舎に入る。同じキャンパス内で、留学生には留学生専用の寮があり、国内学生とひ棟も食堂も違う。
だが、あの時代、1980-年という中国が国際社会でまだ発展途上国とらされたじだいに、あの留学生の多さ!
日本やアジアだけでなく、ヨーロッパ各国、アフリカや中東からの留学生も、大勢いる。留学生食堂も、一階が普通の留学生食堂で2階がハラル.ハラム食堂だった、私も時たま2階で食べた。、
私のルームメイトはインド人だったので、部屋にはその系統の仲間がよく来た。パキスタンやモーリシャスだ、
クラスメイトの背の高い男子はアフリカ人で
私の初めてきあた国の名前だった。
「何を勉強しに中国に?」「土木」「土木~?!中国に?日本に来ればいいのに」「中国は三千年前から土木の先進国だよ(笑) それに、日本は朴のくにの留学生なんて、受け入れないよ。お金や、ルートやなんかでムリ~」
留学生には、私費と公費があり、公費というのが全額奨学金だ。私は公費留学生と呼ばれていた。加えて企業派遣留学生というのも急増した。
アフリカからの留学生の彼は公費で、中東からの留学生はほぼ私費と留学生だった。「中東の彼らは金があるからね。中国はお金のあるところからお金をとり、貧乏だけど学びたい僕らにまわすのさ」
企業派遣留学生や中東からの留学生は、スゴい学費を払っているという噂だった。(笑)
しかしもしそうなら、このシステムはすごくないか?(笑)
ある意味、合理的な「富の環流」による教育の機会均等じやないか。ハッとする知恵だ。