ただいま、本日の決戦の場所に向かう途中。
その前に朝食と心の準備を、というわけでメガロポリス東京の某拠点駅のドトールにいる。
ドキドキを押さえようとしているところへ、店内の有線放送が、曲を流した。
「イングリッシュマンinニューヨーク」
女性の声でのカバーだか、充分に心揺さぶる。
スティング。あなたは偉大だ。天才だ。記憶を作る名クリエイターだ。おかげで、余計に動揺したではないか。
昨日、大学設立と一般社団法人の件で、ある御夫婦に会いに行った。
思ったより長く話し合いをし、紹介を取り持ち、車まで出して送り同席してくれた友人(理事さん)の時間を、かなり奪ってしまった気がした。
友人で理事だから、こんなに頑張ってくれる。だからと言って、甘んじてはいけないな、と思った。だから、そう呟いた。
すると、「いいんじゃないの」と聞いたものが言う。
「お願いしていいんじゃないの」「頼んでいいんじゃないの」「力を借りていいんじゃないの」「責任を持ってもらっていいんじゃないの」と。
「関わった以上、彼女にとっても、もう自分のことなんだよ。彼女は腹をくくらない人間じやない」と。
そして「むしろ、頼まないことは、寂しいことだよ」と。そうなのか。
私は昔むかし、沖縄で中学の時テニスをしていた。
その時に「真境名杯」という新人戦で準優勝した。準優勝というのは、つまり決勝で負けたのだ。(笑)
その時に決勝で私を打ち負かした女性、なんとその後同じ高校に進学し、同じテニス部になった。
私は、夏合宿を終えたあと、路線を変えて弦楽部に入りバイオリンを始めた。部長までやって、沖縄で学生オーケストラの創始者の一人になり、大人の沖縄オーケストラにも入った。
テニスとはお別れしたやけではなく、北京で市川で川崎で、飛び飛びに硬式テニスをした。バイオリンも、飛び飛びに続けた。あ、バレエも。他にもあるが。
とにかくだから、これらの分野は常にウォッチしているし深めている。
さて、その中学の決勝で私を打ち負かした女性、お互いに遠い世界で生きて、それぞれの人生で奮闘していた。
それが、いまや、なんと沖縄で、私の大学設立準備会のスーパーサポーターとして、大協力してくれている。
……どういう人生の巡り合わせか。
で、最近、大学建設の一環で保育園事業を始めて、偶然知り合ったある女性を巻き込むことになった。
今度はその女性、なんと、テニスの全米ジュニアダブルス準優勝の堀江選手を育てた人だった。びっくり。あっちも「なんでそんな細かいこと知っているの?!」と。(笑)
不可思議で、奇妙な縁。
少し前、動き回っているときに、ある人から起業は簡単じゃない、大学作りなんて無謀だという文脈で「君は夢だけで生きているのか?!」と言われた。
私は「いえ。夢と好奇心で生きてます」と答えた。別に言い返す気持ちではなく、本当に素直に思わず答えただけだ。
直ぐに、ああ、これは質問ではない、と気が付く。18才で日本社会(ヤマト社会)にやって来て以来、何度こんな失敗をしたことか。若い頃は、そこで即座に「バカ野郎」とか「口答えするな」と言われた。
質問型で、教えている、叱っている、糾弾しているのだ。それに気が付くまでに時間がかかったかが、その後は、質問されたと思って反射的に答える前に考えるようになった。
ところが。
私の年齢がもう若くなく、だから教えたり叱ったりがあり得ないからか。本当に質問したからなのか。今回の相手は、黙ってしまった。
…もしかして、感動した?
「それは呆れていたのよ」と後で北京時代からの友人が言った。「私は貴女の行動の基本が、夢と好奇心だけだと分かっているけどね」
そのあと友人は「あ、最近は『人のため社会のため』が入ってきたことも、分かっているよ」と慰めてくれた。
どんなことだとは今は書けないが、私はここのところ、まるでジェットコースターみたいな日々を送っている。
プロジェクトとか、学校設立の準備とかは、こういう時期が何度もくると思うが、ほんとに心臓に悪い。(笑)
私はジェットコースターに乗るのは嫌いだか、ジェットコースターみたいな生活は大好きだ。
もう、来た~ジェットコースターの日々~!という感じだった。
しかし、終わりの見えないマラソンが辛いように、終わりの来る気配がないジェットコースターは辛いもんだ。(笑)
そのストレスとプレッシャーは、半端ない。
いまや、お願いだから、せめて一旦終わってから始まってくれ~!と祈っている。爆笑
いつか皆さんの中でも、何かの大プロジェクトを始めて、こんなことになったら、思いだしてほしい。方法としてはただひたすら中国のことわざ「散会のない宴会はない」を、頭に入れる。
終わりのない始まりはない、という意味だが、これは宴会=愉しいことという意味がある。
そう、楽しいことでもいつかは終わる。
一昨日、冬季オリンピックのフィギアスケート写真集をよんだ。その中のコーチのインタビュー記事に、心にズンとくる言葉があった。
「(彼らは)少しも積み残しのない準備をして、試合では自分たちを信じて氷に出ていくだけになっていた。」
アイスダンスの金メダルと銀メダルの選手を出したコーチのインタビューだ。どちらのカップルも天才的で芸術的な選手で、最高のパフォーマンスだった。僅かな差で金と銀。
そのコーチが金メダルの二人の、復帰してからオリンピックまでのことを語って吐いた言葉、
「一つの積み残しもない準備をして」。
私は大学設立準備会を作った時に、何かを成すには準備が大事だ、と考えたからそう名付けた。しかし、まだまだ甘い。
いいか! 一つの積み残しもない準備が必要なのだ! と自分に言い聞かせた。
今年に入ってこのかた、疾風怒濤の日だった気がする。
予定はほとんどが玉突きで決まる。または次々と変わり、また決まる。人間万事塞翁が馬を思わせるようなことが起こる。
例えば午前の約束に行ったらそこで午後の予定が決まり、あるいは資料を探しに本屋に行ったら偶然翌日の打つ手を示唆する人と会う。
別の意図でセミナーに参加したらそこで知り合った人とそのまま別のプロジェクトに行く。
ガックリすることがあると、それそのものがビックリするほどの成果をもたらすことに変わる。
そこで私は、、疾風怒濤=シュトルムウントドランクな時代と気どって乗り切ることにした。
そしてそんな激動の日々も落ち着く時がくる。今週はそんな気分だ。
だか、週末に理事会がある。そこで報告するまで、またしてからも何が起こるか分からない。(笑)