服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

経験を語ってくれる若き先輩。

私よりずっと若いが、経営者としては先輩のT氏と、品川であった。

「いま、日本なんで、時間あるんで。会いませんか」とメッセージが来たのは昨日。

経営のこと、起業のこと、リーダーは孤独であること、その諸々を話してくれ、私が更に長く話し(笑)、なんと約3時間。

終わる頃に、ハッとした。

この人は、私を心配して会ってくれたんだ。私に、経営者としての経験を様々話すことで、私を励ましてくれたんだ。と分かったのだ。

有り難いことである。

自分の失敗と成功を話すことで、私の転ばぬ先の杖となってくれる。

自分の経験と知恵を語ることで、私の今後のマイルストーンを教えてくれる。

こんな方がいて、私は運がいい。

誰も死なせない決心(笑)

大学を作ります!と回り始めたときに、よく見聞きしたことがある。

「大学一つ創るまでには、誰か一人は死ぬ」

ある人は笑い話で言い、ある方は真顔で語り、ある本はそう書く。まるで都市伝説のようだ。

しかし最近、やっと腑におちた。

これは、いわゆる過労死だ。心労と過労と寝不足と、作業のインターバルのなさと、理不尽と怒りへの忍耐と、やり直しに対する気の取り直しと、……。つまり過労死だ。

最近、ああ、この大学設立で死人が出るなら、それは私だな~(笑)と、妙に納得できた。

だが、私が死んだら、当たり前だか大学は設立できない(笑)。さらに、誰も死んでは困る(笑)。

 

と言うわけで、決心した。

誰も死んではならない。私も死んではならない。誰も死なせはしない。私も死なない。

決心したら、安心した。(^o^ゞ

転んでもただで起きてはいけない

いつか、同じような経験をするかもしれない人のために書く。

 モノゴトを進めていれば、転ぶときもある。

だか、転んでも必ず起きよう。しかもすぐ起きよう。さらに、ただで起きてはいけない。

 

貴方が私とおなじ夢想家でも、私と同じように、夢の実現させるためにリアリストにもなろう。同じように、根っからの楽天家だったら、せっかちな楽観主義者になろう。

 

本日私は、東新宿の某事務所にいった。

最近よくある、幾つかの士業が連携する複合型事務所。ここは、沖縄在住と東京在住の士業さんが、パートナーズとなってやっている会社だ。

行政や国を相手に物事を進めるには、そういうプロの手を借りるほうが得策だ。

 

大学設立の一貫として、先に保育園を東京圏と沖縄に設置することにした。それを決めたあとも、色々あって、様々あって、予定の順序はどんどん変わる。この間、数回転んだ。(笑)

 

そこで、昨日の今日、下部組織としてさらに、保育事業をするための法人を沖縄に作ることにした。沖縄に法人登記し、沖縄の銀行に口座を開設し、沖縄で資金調達をはかり、保育園開設を申請し、採択をしてもらい、保育園を設置する、ということにした。

 

商談の結果は上々。窮すれば通ず、だ。ハハハ(≡^∇^≡)

『余白』をつくろう。

忙しかったり、やることが多すぎたり、ベクトルの違う仕事や作業を次々とやらなければならなかったり、土日も何かと仕事したり。

そんなときは、思わぬポカミスをする。……いや、あんたはそうでないときもよくミスをするよ~と、先に自分で突っ込んでおく。(笑)

とにかく。

とってもやりたかった十代のためのワークショップのチューターの日と、息子の一時帰国成田出迎えが、ダブルブッキングしていたことに気づいたのは、前日。

息子は大人だが、私がどうしても行かなければならない理由がある成田出迎えだ。結局、成田に行った。

それから同じ日、あまりの忙しさから言葉足らずになり、理事や関係者に送ったメールが炎上した。(笑)私は火消しで、再度メールを書くはめになった、(爆笑)

やはり忙しさで夫と喧嘩して、仲直りした1ヶ月前、「忙しければ忙しいほど、余白が必要だ」という結論に達した。

そういうわけで、世の中は「働き方改革」と言うけれど、我が家はシンプルに『余白をつくろう』運動だ。

明日は目一杯仕事があるので、明後日、私は余白の1日とする。

 

イングリッシュマンinニューヨークがかかっている

ただいま、本日の決戦の場所に向かう途中。

その前に朝食と心の準備を、というわけでメガロポリス東京の某拠点駅のドトールにいる。

ドキドキを押さえようとしているところへ、店内の有線放送が、曲を流した。

「イングリッシュマンinニューヨーク」

女性の声でのカバーだか、充分に心揺さぶる。

スティング。あなたは偉大だ。天才だ。記憶を作る名クリエイターだ。おかげで、余計に動揺したではないか。

人に頼むということ

昨日、大学設立と一般社団法人の件で、ある御夫婦に会いに行った。

思ったより長く話し合いをし、紹介を取り持ち、車まで出して送り同席してくれた友人(理事さん)の時間を、かなり奪ってしまった気がした。

友人で理事だから、こんなに頑張ってくれる。だからと言って、甘んじてはいけないな、と思った。だから、そう呟いた。

すると、「いいんじゃないの」と聞いたものが言う。

「お願いしていいんじゃないの」「頼んでいいんじゃないの」「力を借りていいんじゃないの」「責任を持ってもらっていいんじゃないの」と。

「関わった以上、彼女にとっても、もう自分のことなんだよ。彼女は腹をくくらない人間じやない」と。

そして「むしろ、頼まないことは、寂しいことだよ」と。そうなのか。

 

 

不可思議な縁です

私は昔むかし、沖縄で中学の時テニスをしていた。

その時に「真境名杯」という新人戦で準優勝した。準優勝というのは、つまり決勝で負けたのだ。(笑)

その時に決勝で私を打ち負かした女性、なんとその後同じ高校に進学し、同じテニス部になった。

私は、夏合宿を終えたあと、路線を変えて弦楽部に入りバイオリンを始めた。部長までやって、沖縄で学生オーケストラの創始者の一人になり、大人の沖縄オーケストラにも入った。

 

テニスとはお別れしたやけではなく、北京で市川で川崎で、飛び飛びに硬式テニスをした。バイオリンも、飛び飛びに続けた。あ、バレエも。他にもあるが。

とにかくだから、これらの分野は常にウォッチしているし深めている。

 

さて、その中学の決勝で私を打ち負かした女性、お互いに遠い世界で生きて、それぞれの人生で奮闘していた。

それが、いまや、なんと沖縄で、私の大学設立準備会のスーパーサポーターとして、大協力してくれている。

……どういう人生の巡り合わせか。

 

で、最近、大学建設の一環で保育園事業を始めて、偶然知り合ったある女性を巻き込むことになった。

今度はその女性、なんと、テニスの全米ジュニアダブルス準優勝の堀江選手を育てた人だった。びっくり。あっちも「なんでそんな細かいこと知っているの?!」と。(笑)

 

不可思議で、奇妙な縁。