服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

生活動線と時間割りが変わったのは、使命が変わったからだ

7年前の起業以前と起業後は、生活動線も生活時間割りも、明らかに違う。

それまでの仕事は、通訳もアドバイザーも何も、発注を受けて、それをやる仕事だ。

1日~半年の仕事をして、出来が良ければ、また呼ばれる。お願いされる。

結果がダメだったり、成果がイマイチだったり、相性がイマイチだったりすると、次がないだけだ。

そんな感じだが、通訳は天職だったし、公共経営アドバイザーも選挙プランナーも、超適職だった。

面白かったが「使命が終わった」と思ったと時があった。途端に、興味がなくなった。やる気もなくなった。燃え尽き症候群と同じだ。

他の目標ができて、他の使命を感じて、起業の世界に入ったら、前の仕事・職業・分野に、一切未練がなくなった。

前職と前使命をやりきったのだ、当然だ。

大学を創ると起業して3年は、まさに起業家の生活動線と時間割りだ。頑張った。飽きた。

保育園が四つになってからは、理事長としての動線とスケジュールだ。頑張った。飽きた。

それぞれ、取りあえずの段階はやりきった。

最近、またまた、新しい生活動線と生活時間割に、変わったようだ。