服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

私がやることは私にとって全て初めて

大学を作るには、学校法人を作らなければならない。それを作るにはお金(法的には寄付行為という)が必要である。で、お金を集め作るには財団などが要る。何もお金がない人が財団法人を作るには、その手前の団体が必要になってくる。

というわけで、私は一般社団法人を作った。

さて、一般社団法人といっても非営利徹底型である。つまり、理事会をおく、監事をおく、という一般社団法人である。

たから、監事が変わっただの理事が変わっただので、いちいち登記を変える。余計にお金がかかる。手間がかかる。

だから、なぜ最初に監事交替の可能性を見抜けなかったんだ、なぜ僅かに見えたはずのリスクを見逃したのだ、と考える。

しかしこれが、後の教えとなるし、経験値となる。

これから私がやることは、私にとって全て初めてのことだ。

たから、いつかこれを読む人で必死に参考を探す人のために、なるべく正直に書いておく。

アイディアより行動、インプットよりアウトプット

 最近つくづく思う。

アイディアを出すのは実は誰でもできて、実行するのは誰でも出来るけじゃない、と。

インプットは楽で簡単、しかしアウトプットは難しい、と。

 

ネットでは、夢を語る人に一度は似たような夢を考えたであろう人が「考えが甘い」「現実を知らない」などと忠告に名を借りた非難をする。

でも、いま現実にそれがあるということは、それを思い描いたあとに実現した人間がいるということだ。なぜ、以前の人が出来てその夢を見る人が出来ないと思うのだろう。たぶん、自分は夢だけ見て実行しなかったのだ。

 

何万もの夢やアイディアが語られ、わずかな実行と行動がある。

行動に移さないと、何かを実行しないと、何も残らない。

インプットよりアウトプットが重要だし、アイディアより行動が貴重だ。

 

人を巻き込む勇気。

人に会いに行くのが怖い。なぜ恐いか。

大事業やプロジェクト、そのための組織に、人を巻き込むには覚悟が必要だ。

 

人はいろんな理由で、物事や組織に参加する。

大学をつくるというプロジェクトに参加する人も、いろんな理由や原因があるだろう。

貴方を信じているから、君ならやるだろうから、友人だから、設立の志に賛同したから、頼まれたから、いつか権威が得られそうだから、儲かりそうだから、暇だったから、何でもいいから何かやりたかったから……。

 

どんな理由であれいい。だけど、巻き込む私には覚悟が必要だ。どんな理由であれ、私はその人たちの時間や人生や労力やお金、その権威や信用や権力も使うことになる。人を巻き込むとはそういうことだ。結果的にさえも裏切ることはできない。

 

自分がやることはただしいことだ、自分がやることはいつか誰かがやらなければならないことだ、社会に貢献することだ、と自分で信じている。だからその人が望めば、その人を巻き込むことはいいことだ。と自分に言い聞かせる。

 

人を巻き込むとは歓喜でもあるが、恐怖でもある。覚悟を決めても、腹をくくっても、それでもやはり更に責任感が押し寄せる。

いまの時期、人に会いに行くのはその人を巻き込みに行くことと同じ。

再度、腹をくくるために、こうして書いている。

「場所には行け、人には会え」

私が大学設立のことで、あっちこっち行ったり、いろんな人と会ったりしているのを見た友人が、メールに知人のブログを添付してくれた。

そのブログに、その人のモットーとしてあった言葉『場所には行け、人には会え』。

 

いい言葉、ただし体力と気力のいるモットーだ。

これをモットーにするには、進取の気質と、行動力と、人に会う勇気と、馴れと闘う精神と、謙虚さが必要になる。

 

何しろ人に会うのが、こんなに勇気の要ることだとは、思わなかった私。

最近、人に会う勇気をください、人と話す勇気をください、と常に心に祈っている状態だ。

明日も、勇気を振り絞って人に会いに行く。大学を作るというプロジェクトは、勇気が必要なことばかり。

 

【振り返り】これはある意味、偉大な知恵だ。

中国北京に留学して、私は大学や教育について、もう一つの視点、もう一つの知恵を持つことになる。

四年の留学の最初の2年は現在の北京語言大学に、後半の2年は北京大学で学んだ。当時の中国の大学は、学生はすべてキャンパス内の寄宿舎に入る。同じキャンパス内で、留学生には留学生専用の寮があり、国内学生とひ棟も食堂も違う。

だが、あの時代、1980-年という中国が国際社会でまだ発展途上国とらされたじだいに、あの留学生の多さ!

日本やアジアだけでなく、ヨーロッパ各国、アフリカや中東からの留学生も、大勢いる。留学生食堂も、一階が普通の留学生食堂で2階がハラル.ハラム食堂だった、私も時たま2階で食べた。、

私のルームメイトはインド人だったので、部屋にはその系統の仲間がよく来た。パキスタンモーリシャスだ、

クラスメイトの背の高い男子はアフリカ人で

私の初めてきあた国の名前だった。

「何を勉強しに中国に?」「土木」「土木~?!中国に?日本に来ればいいのに」「中国は三千年前から土木の先進国だよ(笑) それに、日本は朴のくにの留学生なんて、受け入れないよ。お金や、ルートやなんかでムリ~」

留学生には、私費と公費があり、公費というのが全額奨学金だ。私は公費留学生と呼ばれていた。加えて企業派遣留学生というのも急増した。

アフリカからの留学生の彼は公費で、中東からの留学生はほぼ私費と留学生だった。「中東の彼らは金があるからね。中国はお金のあるところからお金をとり、貧乏だけど学びたい僕らにまわすのさ」

企業派遣留学生や中東からの留学生は、スゴい学費を払っているという噂だった。(笑)

しかしもしそうなら、このシステムはすごくないか?(笑)

ある意味、合理的な「富の環流」による教育の機会均等じやないか。ハッとする知恵だ。

理事会ですぞ、ワトソン君

大学を作るには、そりゃあ、学校法人をつくらなければならない。

だが、何も無いところから始めた私は、まず一人で大学設立時役員会を名乗のることにさした。すると最高の協力者があらわれ、任意団体を始めることができた

一年半、任意団体の段階でパンフレットを2回作り、四回の沖縄プレゼン行動をし、寄付さえくれる人が現れた。

4回目の沖縄行動の最終日、もう法人にする時が来たことを悟った私は、帰京するなり行政書士と作業を始めた。

先ずは、一般社団法人にするのが先決である。それも、非営利型を徹底した一般社団法人で、理事会もちゃんと置く。

理事と監事をする方を頼んだら、皆さん喜んで引き受けてくれた。

そして昨日、6人の理事と一人の監事の体制で、事務局から参加のワトソンが議長をつとめ、第一回理事会を開いた。わが事務所、つまり我が家で。

形式に乗っ取り進行し、議事録も作成した。理事の皆さん、かなり活発なやり取りだ。なんと次の理事会の開催日まで決定し、代表理事だか首謀者(笑)の私は宿題を出された。

人が組織を作るのは何故か。

本日、行政書士さんの事務所に行って、いろいろ判子を押した。

沖縄グローバル大学設立準備会を、一般社団法人にするための手続きだ。予定では今週、法人になる。

法人つまり組織というものは、一人では成しえないことを達成しようとするとき、あるいは個人では立ち向かえない課題を克服したいとき、または皆で力を合わせてやるべきことをやるとき、そういう時に作るものだ。

というわけで、法人にする時が来たので、実行に移した。

お金が有って、それで目的を達成しようとする時は一般財団法人にする。人がいて、その力で目的を達成しようとする場合またはお金が無いとき(笑)は、一般社団法人にする。

私は、応援する人や支援する人また助けてくれる人がいて今はお金がないの(笑)で、一般社団法人にする。素敵でしょ?(⌒‐⌒)♪

ちゃんと理事会を置いて幹事もいる、非営利徹底型の一般社団法人だ。理事は6人、幹事は一人。役員になる方は皆さん、喜んで引き受けたくれた。有り難い。有り難い。

で、証明書も集め、法人印鑑もつくり、定款もつくり、行政書士さんとチェックしながら印鑑を押した。

今週末に、設立時役員会を開く予定だ。

一人ではなかなか成しえない事業に、仲間を得て挑戦を続ける。覚悟はできている。