服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

不安の解消はFacebookの効用

最近、激動の日を送っている私は、ほぼ毎日大きな決断をくだし、ほぼ毎日予定が急遽変わり、ほぼ毎日戦略変更をしている。

で、毎回、引き受ける覚悟が必要な責任に、不安が起きる。戦略が変わるにはその前に大きな小さな反省もある。

Facebookを見て、友人のアップした可愛らしい赤ちゃんや子どもの写真を眺めたり、誰かのコメントに吹き出したり、じぶんで何か書き込んだりすることが、今や私の癒しであり、慰めであり、楽しみだ。

今やFacebookの友人近況は、私の不安をなだめる最大アイテムだ。(笑)

「不安と反省(後悔)こそ、人類を進化させた」

取り合えず、私は不安をFacebookで解消しよう。

 

 

クラウドファンディング勉強会で創発の条件を学ぶ

昨日、クラウドファンディングの勉強会にいった。

主催者は現役の大学生、だから参加者ほぼ大学生、いって30代。(私を除けば(笑)) たったの8人。

支援者になったこともあれば、発起人側に協力して返礼品の発送作業をしたことのある私には、正直、目新しい情報はなかった。

 

だが。その瑞々しさ、共創力、フラットさ。

面白いし、愉しいし、楽しい。

知恵や情報が、一方的に上から下に流れる、という感じではない。教える、というのでもない。知恵も情報も、シェア=共有しあうという感じが、普通にある。

だから、ワークショップでは、アイディアも創発的になるし、インスパイアも双方に起こる。

私も同年代の気分で、高校生に見えなくもない学生に突っ込んで、盛り上がった。

何しろ終了後には、もっとも興味深い一人と、そのままカフェに行って話し込んだ。

雪になるかもしれない雨の中、行ってよかった。

天才リーダーになる覚悟。

昨日、プロジェクト達成の天才と相対した。逃したくない人だった。

 

はっきり言うが、私もプロジェクト達成の天才である。

これまで幾度も、何かに挑戦するとき「勝利からの逆算」が見えた。それは光のスジのように真っ直ぐに、達成と自分をむすんでいる。

 

それが見えた瞬間「勝った!」「出来る!」と分かる。

どんなに困難だとされることでも、勝利からの逆算が見えたときは、達成できる。

どんなに他人からは回り道に見えても、それが一番の直道だと分かる。自信がある。

誰と意見を闘わせても、これが一番だと自信がある。

 

だか、大きなプロジェクトのときには、おそらく幾人もの天才と組むことになる。

問題は、もしこの天才が見る「勝利からの逆算」と私が見たものが、異なったらどうするか、ずれていたらどうするか、である。

 

私の決心がつかないまま、会談は雪でのび、昨日になった。

新宿のとある大正ロマンあふれるカフェで、電車で遅れた相手を待ちつつ、自分の考えをパソコンに思うままに打っていた。

 

そして、相手がきて、自分が立ち上がった瞬間、見えた。

「そうか、私が天才リーダーになればいい」

天才リーダーになって、天才たちを率いればよいのだ。天才たち見る逆算のスジが全て入れることが出来る、勝利への大きな光のスジをもつ天才リーダーに、自分がなればいいのだ。

権力に近づくのを恐れない権威に近づくのを怖れない

大学を設立しようと決めてから私は、色々なことを順々に決意していった。

自分の苦手や不得手に取り組むこと。避けたいことから目を背けないこと。やらなければいけないことは、自分の気持ちではなく決意に従うこと。……。

そうでなければ、この一大事業は達成できない。得意なことだけやり、やりたいことだけをやり、気持ちの乗ることだけをやっていては、本当に私が考える大学は出来ない。

 

で、今年になって決意したことは、「権力に近づくことを恐れない。権威に近づくことを怖れない」である。

 

色々な事情があって、かなりの年になるまで、私は市役所や銀行が怖かった。笑っちゃうが、市役所さえ、私にとっては権力だった。銀行は権威だった。

何しろ年頭の願いに「市役所や銀行に平気で入れるようになる」と書いたくらいだ。哀しいくらい可笑しな願いだった。

後に銀行や市役所に、本当に平気で図々しく入れるようになった時に、アマルティアセンの「潜在能力」がテーマの本を読み、感嘆した。この人は本当に凄い、と。分かっている、と。

 

で、やっと今回、更に大きなことに挑戦するときに、今度は更に深いところで、決意した。

権力に近づくことを恐れない、権威に近づくことを怖れない、と。

自分の為なら決意できないことも、未来の学生の為なら決意できる。

 

手放した過去から未来への応援を貰う

いきなりだけど、1月1日付けで、ある研究機関から『特命教授』を拝受した。我が家では『棚ぼた任命』と呼んでいる。(笑)

 

勿論、くださる方はちゃんとその会の基準と規定の上で任命する。年末に様々な証明書や書類も提出した。その機関は主に、中国語通訳翻訳として25年以上第一線で活躍したことを業績として認めての任命である。

 

新しいものを手にしたければ、いま手に握っているものを捨てなければならない、という言葉を私は肝に命じている。

だから、大学設立を志してから私は、ある意味、過去を捨てた。これまでの自分のささやかだけど成したことや、小さいが成果と言われるものを、捨てた。勇気をもって。

 

もう通訳はしないし、政策アドバイザーもしない。それらの資料も大量の本も、成果物も、作品も、すべて捨てた。気持ちや、時間や行動や全てのコストを大学設立準備にあてるために。

 

名前の横に何か職業を書かなければならないから、中国語通訳とか政策アドバイザーと書いている。何の役にもたたない、博士号があればいいのに、と思いながら。

 

ところが今、代表理事である私の肩書きに、特命教授が付くのである。

手放したはずの過去から、大学設立のための応援を貰い始めた。そんな気分だ。

雇用労働について勉強、リーダーとして

国家戦略特区 東京圏雇用労働相談センターが主催するセミナーに参加した。

法人代表者や経営者は、雇用者でもある。我が一般社団法人は、まだ小さいし誰も雇用していないが、いまから勉強しておかなければならない。

法人が大きくなってからでは、間に合わないのだ。修行や勉強は、先にしておいて損はないのだ。(笑)

というわけで、厚生省から出向してきたような(印象である証拠はない(笑))担当者が案内をし、社労士と弁護士が出てきて説明をしてくれる。よく聞く、ペーパー資料をめくり書き込む、分厚い資料もある、そんな濃密な数時間を過ごした。

終わった時には、私はかなり疲労していた。午前に一つ仕事をしていからだ、と自分に言い訳をし、目の前の渋谷ヒカリエで思わず…。

いや、誘惑に負けずに頑張った。何しろ、代表者(雇用者)の大変さをやたら感じ入る内容だったし。(笑)

頑張って、セミナーのみで渋谷の繁栄喧騒をぶっちぎって帰宅できたのは、久しぶりである。

自分の使命の大学を創る。自分の夢でも理想でもない。

今ごろになって私は、自分が作る大学が何であるか分かった。私は「自分の使命の大学」を作るのだ。私の「夢の大学」でもない。私の「理想の大学」でもない。私が「欲しかった大学」でもない。

 

私の創るべき大学、私が創らなければ誰も作らないであろう大学、私しかこの在り方を重要だと思わない大学、だから私しか創れない大学。

故に「私の使命の大学」だ。

 

作りたいから作るのではない、作らなければならないから作るのだ。出来るから作るのではない、必ず創るのだ。誰もやらないかもしれない、でも私なら創ることが出来る。

だから「私の使命の大学」だ。

 

誰かが作れる大学は、誰か作ってください。

何処かに作れる大学は、どこかに作ってください。

出来るから作る大学は、他の人がやってください。

 

私は、これからの時間と情熱と努力を尽くして、自分の使命の大学を創ります。

私は、これまでの経験と知恵と知識を尽くして、自分の使命の大学を創ります。

私は、私の生まれた意味と、生まれた場所の理由と、生きた人生の意味を、自分の使命の大学創設にかけます。