さて、18歳から22歳まで、お茶の水付近で、普通の大学生を横目で見ながら私は考えた。なぜ彼らは大学に行け私は行けなかったのか。
私が頭が悪くて、彼らが頭がいいからなのか。……違う。どう見ても同じか私の方がそれ以上だ。(笑)
私が進学する気がなくて、彼らが向上心に燃えて進学したのか。……違う。私は大学に行きたくて行きたくてたまらなかった。彼らの中には明らかにやる気のないものもいた。「親がしつこくてさ」などと本気かどうか言う者もいた。
原因は一つ。家庭環境の差だ。経済力を含めた。
もちろん、「奨学金を貰えばいいだろ」という人はいる。学力さえあれば今(当時)の日本、どこかから奨学金を貰って行きたい大学に行けるはずだ、と。
だが、違う。既に30年以上前のこの時。私は身を持って悩み考え知ったことがある。世の中には「周回遅れの人間がいるのだ」と。生まれた場所や、生まれた過程で、何かの勝負に対して、初めから後れを取る人間がいるのだ、と。
恵まれない家庭に生まれると、どんなに頭がよくても奨学金を貰える程度の学力にさえなれないことがある。大学進学が最初から選択肢の中に入らない環境もある。
最近になって、研究者の調査で、経済力を含めた家庭環境よって、子どもの学力や知能にまで大きな影響が及ぶことが証明された。家庭環境の背景によって、第1群か3郡まで分けた子どもの、第3群の子どもが毎日1時間勉強しても第1群の最後の子の成績に追い付かないという調査結果もある。また、東大合格者の保護者の平均収入が1000万を超えるというデータも有名だ。
「社会関係資本」が子どもにとって、いや大人にとっても、大きな影響を及ぼすのだ、と、最近の研究者や教育者は言っている。
そんなこと、私は30年前の神田の町で、お茶の水の駅で、総武線の中で、感じていた。分かっていた。
そして常に悩みながら考えていた。「大学に行きたい人が行ける社会はないのか?」「大学は何のためにあるのか?」「大学は誰の為にあるのか?」と。
このタネは黒くて灰色のはずだ。私の恨みと悩みと哀しみからできたのだから。