小さな池に住む鯉にとっては、少しの風でさえ、台風に感じる。
小さな池で泳ぐコイにとって、どんなに自由に泳いでも、泳げるのはそこだけである。
小さな池のコイにとって、鯉としての自分を証明するものは、そこにあるものしかない。
保育園というのは、登場人物が限られている。動く範囲も限られている。
過酷なことを言うが、小さな世界だ。小さな社会だ。小さな池だ。
更に過酷なことを言うが。保育士は何かないと、そこだけが自己の存在証明の場所になってしまう。だから、何かをするのに姑息な手段しか取れなくなる人が出てくる。
誇りを持つべき職業なのに、自分でそれを持つことが出来ない閉塞へと追い込まれてしまうからだ。
どうにかしなければ。