服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

天才アマデウスと凡庸なる者サリエーリ

ある時、本屋で戯曲を立ち読みした。かなり心を動かされた。舞台でもなく映像でもないころの戯曲を、そのまま読んで感動したのは、この一回きりだ。

宮廷音楽家サリエーリが語る、アマデウス(神の寵愛)モーツァルトの物語。後に映画化もされ、アカデミー賞も取った、その原作だ。映画も見たが、あの戯曲のテーマが底深く素晴らしいから、映画は成功したのだろう。

サリエーリは、音楽の能力も宮廷社会人としての実力もあり、礼儀も心得ている。モーツァルトは下品で、しかし信じがたいほどの才能がある。

サリエーリは、誰よりもそれがよく分かる。そしてモーツァルトに嫉妬する。サリエーリは、モーツァルトに比べれば哀しいほどに“凡庸なる者”である。

その本を読んで以来、天才とその才能を理解する者を、私はアマデウスとサリエーリで例えている。良い、悪い、礼儀を知っている、顔が悪い、成功しなかった、などの枕詞をどちらにもつけたりして。

さて、最近はこんな喩えで表現したい人がいる。「才能もないのに運命の人だと自分で勘違いしている本当は凡庸なる者アマデウス」「能力あるのに運命の人ではないからと凡庸に徹して、ついに阿呆になってしまったサリエーリ」

見ていて、哀しい。