バケツの水を大学に変えようと思い立ったのは数年ほど前だ。
バケツとは何だ?という疑問には、後のブログで答える。
とにかく。その時自分のノートや書いたものをひっくり返したら、恩師にあてた手紙が見つかり、そのなかで私は「私なりの大学」について宣言していた。2008年5月の手紙だ。忘れていた。どうやら設立は2020年らしい。
そういうわけで、かってに「大学構想は2008年」としている。もちろん、勝手に決めていいし言っていい。何せ自分のことなのだから。これが出発点だ。
それからしばらく「沖縄に大学を作ります」親しい人にはそう言った。客観的にはただの夢であり、進行状況な喩えるとマイナス3くらいだ。
数年前に誰かから「その夢を公言しろ」とアドバイスを受けた。私は素直なので、そうするようにした。「大学を作ります。まずは自分でタネ銭を作ります」と。進行状況はせめてゼロに近づいた。
すると今度は別の人から「そのタネ銭からお金を集めるんだ。自分でまとまったお金を作るなんて、それじゃあ、いつまでたっても大学は出来ない」とまたまたアドバイスを受けた。進行状況が長くゼロで停滞していた時だ。
そこで、公言することとお金を集める準備をすることを兼ねて、「沖縄グローバル大学設立準備会」を作った。2016年1月のことだ。
その時に、とても有能な人が私を手伝ってくれる約束をした。私が彼女と久しぶりに会って、お金もないのに人材獲得の大勝負に出て、彼女が即座に協力を約束した日が、任意団体の『準備会』設立の日となった。
余りにも優秀で、敏腕で、正確な秘書兼マネージャーなので、私はワトソンと彼女を読んだ。そのワトソンは毎週、私の元にきて一緒に作業をした。彼女のおかげで進行はゼロから0.1、03、0.5と進んだ。
それでも任意の団体なので、反応や対応は様々ある。つまりは社会的には何も存在しない、ゼロの段階である。
しかしなんと、来週には一般社団法人となる予定だ。ついに1になる。
このブログは、私がネットを調べても、体験者に聞きたくでも、知ることができないも
どかしさを経験して、思いついた。
誰か大学の作り方につていおしえてくれないか、起こる経験を書いてくれないか、と思ったのだ。「次に夢見る人の助けになるし、記録を残したいし」
じゃ、私がやろう、私が書こう、と決めたのだ。
そういうわけで、大学を作ろうと夢見たらやることや起こる出来事や、同時進行で書いていく。また、遡ってこれまでのことも書く。
あなたの何かの参考になれば、嬉しい。