あづかれる宝にも似てあるときは
吾子(あこ)ながらかひな畏れつつ抱く
初めて、当時の妃殿下のこの歌を知ったのは高校生の時。感動した。しかしそれは、特殊な世界で我が子を産んだ者の思いだろう、程度のしか思わなかった。
しかし、10年以上もたって、自分の子どもを産んだとき、不可思議な感覚に襲われた。
この子は、何か漠たるものから預かったのではないか。いつか未来にお返しするものを、私は預かっているに過ぎないのではないか。そんな不思議な感覚だ。
特殊な世界でなくとも、そう感じることはあるのだ。
そして、いま。
保育園をやっていて、今やはっきりとこう思う。「この子達は、親御さんから預かった宝だ。この子たちは、いつか未来にお返しするのだ」
この「もしかしてこの人は『預かりもの』かしら」いう感覚は、最近さらに進化した。大人にさえ、そう感じる時がある。
友人Aさんは、もしかして◯◯からの預かりものかも。まさかBさんは△△が私に託したものかしら。などなど。
今日、私は、まともにその人を見ることができなかった。私はまだ、大人を預かりものと感じることには、慣れてないのだ。(笑)
まあ、変な、不可思議な、しかし妙に納得する感得である。