「戦いは、圧倒的な差があればあるほど被害が少ない」というのは、戦いの常識だ。
そして、戦いの本当の勝利は、勝つことではなく、被害の少なさ、だ。被害とは、戦いの結果、得るものと失うものの差し引き合計。
戦いの被害は、時間に比例する。比例するどころか、時間とともに倍増する。間接的な、または別の被害も増えて、複合的になる。戦いの被害は甚大になる。
強き者と弱き者が戦えば、時間がかからない。時間がかからなければ、どちらの被害も少なくてすむ。強い方だって被害はある。
だが、もしも自らが弱き者ならば、すぐに負けた方が、己れの側の被害は少なくてすむ。
正義はこちらにあるとか、あっちが絶対に悪い、というのは、こちらが単独ならば、拘ってよい。
だが、自身に抱える人達がいたら、小さくとも組織や会社のリーダーだったら、すぐに敗ける方が、被害は少ない。ここは、敗けて、負けない方がよい。
(もちろん、国家間の戦争なら、そうはできないだろうが)
また、相手が単独でも小さくとも、制度とか行政とか法律とか何とか、“圧倒的正義”や“圧倒的な実力”を味方に付けていたら、その差は歴然である。あっちの方が単独でも強者である。
そんな戦いになったら、こっちが会社でも組織でも団体でも、すぐに敗ける方がよい。グッドルーサー、つまり『良き敗者』になる道を選ぶ方がよい。
私もやっと、個人の誇りや正義という名の固執よりも、それよりも抱える人達を守ることがリーダー・社長・創立者としての、私の取るべき選択だ、と分かるようになった。そして、敗けるなら即座に負ける方がよい。。
最近、実際にそうした。勝つよりも負けるほうが、こちらの被害は少ないのだ。