服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

お金で考え込むと「黒いオーラがありますよ」って、沖縄人はみんなユタですか(笑)

私も昔からよく、誰かから、言われた。

「あなたは巫女ですか」「沖縄でユタ~って言いますが、貴女もそのうですね」

カンが働いて、それを思わず口に出すと、どうやら的確らしくて、相手の顔色が変わることが、よくあった。

どうやら私は巫女さんらしい(笑)と、何度思ったことか(*≧∀≦*)

でも、最近。

沖縄の人間は、男だろうが女だろうが、やたら、それっぽい人が多いことに気がついた。

私が、資金調達で考え込んだり、資金繰りを考えたりしているときに、「代表、黒いオーラが漂ってますよ」という職員がいる。

時たま「あ、今日はオーラが白いですね。お金の問題、好転したんですね」とも言う。恐ろしい(笑) 

また、とある別の職員は「‥‥‥」。‥‥‥。やめておこう。(笑)

とにかく、みんな、何かしら、カミガカッている。(爆笑)

「誰が一番傷ついているかは競えない」はずだが実践は難しい

「誰が一番傷ついているかは競えない。どの傷も絶対的に扱われる必要がある」

これは、ものすごく優しく豊かな人間理解だ。だけど、なかなか出来ない。

かつてカウンセリングを学んだとき、またコーチングを学んだとき最終的には「ああ、私はプロにはなれい」と思ったことがある。

傾聴や、カウンセリングやコーチングは、自分を捨てきれないと出来ない。または、自分を一旦横に置くことをしないと出来ない。そう思う。

プロは、そのトレーニングを経て出来るようになるだろうが、私はプロにはなれない、と思ったものだ。

だが、いま、自分でつくった。組織のトップをしていて、そのコーチングやカウンセリングで学んだことは、活きている。

少なくとも、相手の言い分を聞く時だけは、自分の感情や経験や思想を軸としないように、している。

仏典に「心の師とはなるとも、心を師とするなかれ」とあるが、それって、これに似ているかなぁ。分からない。

人材・人財としての格と桁が違って、今の私では採用できない

先日、ある方の面接をした。

本来は、保育園の用務と事務をする人を、求めての紹介であり面接であった。

話し始めて数分で、これは、そんな役回りの人ではない、ミスマッチだ、と感じた。

凄すぎるのである。

人材・人財としての、格と桁が違うのだ。

2時間の面談は、採用面接というより、“創発”的会談だった。

終わって感じたのは。

ほんとに、この人の席を準備できるほどの法人でないことが、悔しかった。

この人を採用できるほどの、力がいまだない法人であることが、哀しい。

帰りながら、同席した副代表つまり夫に、「大学設立、という段階になったら、絶対に必要な人だ」「早く、あの人を採用できる大きさと構造の法人にする」と誓った。

 

達成や成功や勝利のあとに起きる“万能感”のこわさ

達成感というのは、それは素晴らしい感覚だ。

苦難をのりこえ、努力を続け、そして達成したものだけが獲得する感覚だ。充分に味わうべきだ。

何かに成功したときに、味わう歓喜、とても重要だ。それまでの艱難辛苦を経たからこそ成功するのだから、その歓喜に浸るのは、成功の報酬の一部だ。

勝利の喜び、圧倒的勝利の歓喜。これも、勝者に与えられる特権だ。勝つまで闘った、怯まなかった、おじけずかなかった、その凄まじい努力への褒美だ。

だが、魔は天界に住む、という。その歓喜に強すぎたり長かったりすると、人はふと“万能感”に満たされる。

自分は何でもできる、という感覚。自分は正しい、という過ぎた感覚。自分は~があるという、強すぎる感覚。

この“万能感”は、危ない。非常に危ない。

私は、若い頃、何度それで失敗したことか。愚かな頃、何度、それで自分に自分の足をすくわれたことか。

今なら分かる。他人を見ていて分かる。私より若い人を見ていて分かる。

時には、グループやチームで、そういう共同でその感覚になることがある。

指摘すべきか。私はその立場にあるか。本当に忠告するほどの状態か。

私の“老婆心”が、疼く。

毎日が反省、この歳になって小学生の気分

人を傷つけるつもりはないが、知らぬうちにやってしまうことがある。

このブログは、正直に書くことをモットーとしている。このため、思いもかけず、人を傷つける恐れがある。

5年前に、一度、てひどい失敗をした。

私の江戸っ子の恩師が、学者の論争を「ようするにケンカだろ」と言った、という事をブログに書いたら。

全くそのこととは関係ないご夫妻の妻の方から「私の主人のことでしょ!」と、メールがきた。

どんなに説明しても、その方にとっては、その方の事を書かれたと思ったのだ。

この時に、深く反省し、予感のするものは「時差アップ」にするようになった。

半年後や一年後、または2ヶ月後や1ヶ月後に、ほとぼりが覚めた頃、または当事者との縁が終わってから、アップするようになった。

だが、拙い私は、またまた、おのれの愚かさを呪う(笑)はめになる。

連続して三人ほど面接したときに、なにげに自分が発見した今の若い人の感覚を書いた。つもりだった。

だいたい、このブログは、自分の思い、自分の思考、自分の感情、それを書いている。

だが、それを読んで、傷ついたと感じる人がいる。

思い至る半径を小さくしてしまっていた。忘れていた。不注意になっていた。

これが人気のXツィッターだったら、炎上してころだ。読んでいる人が少ない分、被害は少ない。

芸能界に比べれば、事業の世界なんて、楽かもしれない

うんうん唸りながら、次々勃発する(笑)ことに対処しながら、疲労と回復を繰り返しながら、事業を進めている。

会社は、社会で必要とされなければ、消えていく。必要とされてあても、下手な経営だと消えていく。

でも、と思う。

芸能界に比べれたら、楽だ。

栄枯盛衰。短い栄華。回転の速い切り替わり。 

一世を風靡しても消える。悪くなくとも落ちる。良くても終わる。

努力したからといって売れるとは、限らない。運のあるなしが取りざたされる。良くとも新しいのがでたら、振り向かれない。

だから。

それに比べれば、どんなに大変でも、事業の世界はずっと楽かもしれない。

努力とか、知恵とか、頑張りとかが、比較的そのまま反映する。

 

「最悪の中で最善を目指す」という言葉の深さと強さを知る

「最悪のなかで最善を目指す」という言葉は、知っていた。

ここ数日、あることをしていた。調整やハンドリングが難しく、落としどころが難しい、そんな事だった。その「問題」は、昨日一段落し「課題」を解決するというステージに、やっと移った。

最悪の状況と条件のなかで、それに振り回される対処だったら、最悪になっていた。

最善を目指して頑張ったから、せめて良好な状況、善といえる結果を出せるのだ。

そして疲れて帰宅して、全国に散らばる友人達に、ちょうど今日載った、保育園グループの広告を、LINEで送った。

そしたら、中国留学時代の仲間から、関係ない話題のはずなのに、この言葉が返ってきた。

―そういえば、私達に、先生が言っていたね『君たちもいつか難しい立場のリーダーになったら“最悪のなかで最善を目指す”ことをする時がくる』って―

!!!

思い出した。何ということか!

忘れていた!

確かに、恩師が訪中した時に、十数名で迎えた。そして恩師のはからいで、それぞれの場所に分散して随行できた。

恩師は、少年宮で子ども達に、そしてそこに随行した私たち女性3人にチラリと目をやって、語っていた。

その時は、難しいことを子ども達に言うなあ、私ならどう通訳するかあ、と思っていた。

何十年忘れていたことを、今、鮮明に、思い出した。

実は。

この問題対処の間、先生ならこう言うだろうなと思いながら、この数日をしのいでいた。

‥‥‥、なんと、言っていたんだ!

聞いていたのに、忘れていた。忘れていたのに心にあった。

至言は、何十年後にさえ、聞く、効く、利く。