服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

「最悪の中で最善を目指す」という言葉の深さと強さを知る

「最悪のなかで最善を目指す」という言葉は、知っていた。

ここ数日、あることをしていた。調整やハンドリングが難しく、落としどころが難しい、そんな事だった。その「問題」は、昨日一段落し「課題」を解決するというステージに、やっと移った。

最悪の状況と条件のなかで、それに振り回される対処だったら、最悪になっていた。

最善を目指して頑張ったから、せめて良好な状況、善といえる結果を出せるのだ。

そして疲れて帰宅して、全国に散らばる友人達に、ちょうど今日載った、保育園グループの広告を、LINEで送った。

そしたら、中国留学時代の仲間から、関係ない話題のはずなのに、この言葉が返ってきた。

―そういえば、私達に、先生が言っていたね『君たちもいつか難しい立場のリーダーになったら“最悪のなかで最善を目指す”ことをする時がくる』って―

!!!

思い出した。何ということか!

忘れていた!

確かに、恩師が訪中した時に、十数名で迎えた。そして恩師のはからいで、それぞれの場所に分散して随行できた。

恩師は、少年宮で子ども達に、そしてそこに随行した私たち女性3人にチラリと目をやって、語っていた。

その時は、難しいことを子ども達に言うなあ、私ならどう通訳するかあ、と思っていた。

何十年忘れていたことを、今、鮮明に、思い出した。

実は。

この問題対処の間、先生ならこう言うだろうなと思いながら、この数日をしのいでいた。

‥‥‥、なんと、言っていたんだ!

聞いていたのに、忘れていた。忘れていたのに心にあった。

至言は、何十年後にさえ、聞く、効く、利く。