服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

縁という不可思議さ、その3。

沖縄の3つ目の保育園、東風平(こちんだ)みらいっこ保育園は、八重瀬町という、2つの村が合併して出来た10年ほどの歴史の町に、設置した。

これもまた後から振り返ると、かなりの関係者や事柄が「縁としか思えない」「縁があったんですね」という重なりがいくつもあった。

まるで何年も前から、この設立の一点を目指して、知り合っていたのか、関係していたのか、種が蒔かれていたのか、というほどであった。

たとえば、まったく式典の後で知ったが、我が保育園の設計者は、八重瀬町庁舎の設計者である。東風平の出身者であることは知っていたが、まさかそこまでとは思ってもいなかった。

そしてなかでも、一番昔の不思議な始まりは、私自身である。

私の母が、有ることがあって、七人いる子どものうち、5歳くらいの私だけを連れて、とある人に会いに行った。相談事と記憶している。私を連れていったのは、まったく偶然である。

その時に、その人は、母との話が終わった後に、私を指して、とある“御宣託”(笑)を述べた。それは、とてもとても良いことだったので(笑)、私には良い記憶となって残っている。

母はその人を“コチンダ○○”と呼んでいた。その時にコチンダが東風平だという地名であることを、知った。それ以来、東風平(こちんだ)は大好きな地名となった。(笑)

建ったばかりの保育園を見たときに、あれ、あの人が言ったことは、この事だったのか?と不可思議な思いにとらわれた。

いや、もっと大きなコトだ(笑)。
でも確かに。ドラマどころか現実でも、何十年たってから伏線を回収することがある。