そりゃあ、貧乏は哀れである。
経験しているから分かる。どんなに哀れで、惨めで、社会において周回遅れか。
お金で幸福は買えないが、かなりの不幸は回避できる。
そして、貧乏が原因の不幸や格差を取り戻すには、数倍の努力や時間や恥ずかしさがかかる。
だけど。敢えて思う。敢えて言う。
学ぶことに貧しい方が、本当はもっと哀れだ。
学歴のことを言っているのではない。座学も含めて、すべての“学ぶ”ということについて、言っている。
学ばないと浅くなり、人の言うことも自分の浅さの分だけしか、受け取れない。
学ばないと鈍感になり、目の前の出来事からも大事なことを読み取れなくなる。
学ばないと、経験と歴史からも学ばなくなる。
学ばないと貧しくなる。
学ばないと、お金に貧しくなり、頭も貧しくなり、更に金銭的に貧しくなる。
だから私は、自分の故郷に、学ぶ場と学ぶ所を創りたいのだ。金銭的な貧しさによる学ぶチャンスの格差を少しでも無くしたいのだ。