服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

『炭鉱のカナリア』から

まだ感受性の強さが自己の肯定感をはるかに上回っていたころ、自分は『炭鉱のカナリア』だ、と思った。

時代の空気や、閉塞感やネガティブな動向に、真っ先に反応したり、生き苦しさを感じたりする人間を、炭鉱のカナリアにたとえる。

その後いろいろあって、「環境や時代や周りに翻弄されるのじゃない、自分が周りや環境や時代を変えるのだ、つくるのだ」と思ってからは、カナリアではなくなると決めた。

志は高く、周囲や環境、時代や未来も、自分で創るのだと決めた。

で、まずは、せめて潮の流れを読んで、動かない港や関係者の状況を把握し、そこを上手につなぐ「水先案内人」みたいになるのが懸命だった。

ところが最近、もう、水先案内人もやめた。飽きた。自分の個性に合わない。

もう、この年なのだ。本当に「環境や時代や未来を創る」ということをしなければ、いつやるのだ、と巡りめぐって、そうなった。

後戻りしないために、こうして最近、ブログに自分の決意や考えや、行動を書いている。

何しろ、何かあると、様々な角度から様々なコメントが来る。たくさんのカナリアがいるのだ。