何故、卒園式をするのか。何のため、卒園式をするのか。何を考えて、この行事をするのか。
最初にマネジメントチームにそう問うて、話し合いをしようとしたときに、呆れられたり、教育機関にいて当たり前のことを討論するのかと、反発反論をされたりした。
しかし、すぐに話し合いに入った。そして、真剣に考え、心から納得しあい、確認しあった。
私は、こうして自分自身が保育園を
持つ、人間を育てる機関を持つ、というときに、決めていた。
小さいことも当たり前だということも、すべてのことについて、意味のないことはしない。一つ一つ、すべて価値のあること、価値を生み出すことをしよう、。考えて、これは意味がないと思えば、やるまい。と。
真似するときは、納得して真似する。踏襲するときは、考えて踏襲する。
一番最初に「何のため」「何故」を考えなければ、初めから“惰性”の踏襲になってしまう。初めから“原点”や“初心”のない行事や目標になってしまう。
それでは、自分で保育園を創った意味がない。他の人がつくる保育園でも世の中には足りるではないか。
というわけで。我がみらいっこ保育園は、3月の最終土曜日に、明確な意図をもって、小さく短い卒園式(転園式)をすることになった。