服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

祈りという思い、祈りという願い、祈りという救い

人はなぜ、祈るのか。人は誰のために祈るのか。人は何のために祈るのか。 

自分の夢のために、達成のために、成功のために、祈ることは当然多い。不思議なことに、そんなときは、私は自分に力を感じる。祈って行動すれば、絶対にかなうと信じているのだ。

しかし時には、自分の力ではどうにもならないと感じた時にも、祈りに向かうときがある。これは、普通のことだ。人は、自分でどうにもならないと思うから、神仏にも祈る。

社会が不安なとき、天地異変のとき、紛争や戦争のときにも、祈る。自分の力ではどうにもならなくとも、祈らずにはいられない。

そして、自分ではない別の人の為に祈るときがある。それは、痛みや哀しみや辛さや決意が、その人と同じになっているからだ。

自分が痛いのと同じ。自分が辛いのと同じ。自分が絶対に良くなる、好転する、と信じるのと同じ。その人が泣くのは自分が泣くのと同じ。その人が喜ぶのは自分と同じ。
だから祈る。