ある若い人から質問のようなものがあった。それに応える意味で、以下に書く。
オリンピックの延期だの中止だの。高校生の夏の大会の中止だの代替大会の開始だの。当事者は、大変だろう。
目標が無くなっただの、マラソンのゴール直前で決勝点を延ばされたのと同じだだの。本人たちは、辛いだろう。
アスリートが可哀想だの、若者が不憫だの。確かにそうだ。希望を失うだの、気を取り直せだの。側で言うのは簡単だというのは確かだろう。
でも、よく考えたら。
人生には、世間には、世界には、こんなこと普通にある。こんなことよくある。
理不尽だとか、不運だとか、不公平だとか。悪い時代にうまれたとか。運のない世代だとか。自分のせいではないのにとか。よりによってだとか。
そういうことは実は、あらゆる人に、あらゆる分野で、あらゆる形で、ある。
そのうえで「不確かな状況を耐えるというのは、ある意味一つの力である」ことを、認識しよう。
今後も生きていくうえで、不確かな状態に耐えること、不運な環境で我慢すること、不安な時間を堪え忍ぶこと、などがあるだろう。
それはその人の力量となり、能力となり、魅力となる。そして、才能となる。
不運に耐え忍んだ人は、後に最も輝く人となる。不運に耐えた世代は最も輝く世代となる。信じてほしい。