服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

不確か、不安、不運な状態に耐えることは力

ある若い人から質問のようなものがあった。それに応える意味で、以下に書く。

オリンピックの延期だの中止だの。高校生の夏の大会の中止だの代替大会の開始だの。当事者は、大変だろう。

目標が無くなっただの、マラソンのゴール直前で決勝点を延ばされたのと同じだだの。本人たちは、辛いだろう。

アスリートが可哀想だの、若者が不憫だの。確かにそうだ。希望を失うだの、気を取り直せだの。側で言うのは簡単だというのは確かだろう。

でも、よく考えたら。
人生には、世間には、世界には、こんなこと普通にある。こんなことよくある。

理不尽だとか、不運だとか、不公平だとか。悪い時代にうまれたとか。運のない世代だとか。自分のせいではないのにとか。よりによってだとか。

そういうことは実は、あらゆる人に、あらゆる分野で、あらゆる形で、ある。

そのうえで「不確かな状況を耐えるというのは、ある意味一つの力である」ことを、認識しよう。

今後も生きていくうえで、不確かな状態に耐えること、不運な環境で我慢すること、不安な時間を堪え忍ぶこと、などがあるだろう。

それはその人の力量となり、能力となり、魅力となる。そして、才能となる。

不運に耐え忍んだ人は、後に最も輝く人となる。不運に耐えた世代は最も輝く世代となる。信じてほしい。