ボタンの掛け違い、というものがある。
世の中には、そう表現するのが的確な状態がある。そう評される事態がある。
ボタンもその穴も、どれも悪くない、またちゃんと合っていて他の服の穴でもない。
だけど、一つ目をずれてかけると、ずっとズレてかけ続けることになる。
あとで困る。大変に困る。
洋服ならば、全部外して、かけかえればよい。だが、人間社会のボタンの掛け違いは、とても難しい事態になる。
ここまでの年齢になると、人生で一回以上は、そんな状況を見たか聞いたか、自身で経験している。
大抵は、取り返しがつかない段階だ。或いは、事態が終わってから、まずい結果になってから、そうだったと気がつく。
でも、ここまでの年齢になると、始めに気がつくことができるようになる。まて、このまま行くと、これはボタンの掛け違いになるぞ、と。
だが、ボタンの掛け違いを最初に気付くということと、直すということは、実はとてもわ高度なことで、分かりにくいことだ。
「お前は巫女か」(笑)といわれる私は、これまでも、人にそうアドバイスをして、怒らせて嫌がられたことがある。
一回だけ、とある社会的高い立場の人は、聡明にも聞いてすぐ分かり、実際に実行し、後でそーとー感謝された。
でも、相手も自分も関係者も、皆を守るためには、相手や関係者に嫌がられても驚かれても怒らせても、いったんボタンを外すのだ、と。
それが出きるのが、年長者、達者物、リーダーだと。
縁があれば、また会える。時がたてば、かけ違えることなくまた留められる。
ミスマッチングだったならば、後で、かえって相手に感謝される。