服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

失敗と隣合わせの責任がかかった時、その仕事人の真価が問われる

業を起こすと、いろんな関係者ができる。様々な人と、やり取りをする。それぞれと一緒に、または相対して仕事をする。

そのなかで、この人とは二度と仕事をしないだろうな。もう次は、声をかけないだろうな。そう思うときがある。

腹が立ったときではない。失礼なことをされたときでもない。失望したときだ。

仕事のなかで、大小関わらず、それぞれ責任を取る。当然、施主とか発注元とか主体である私は、全てに責任がある。すべての責任を取る。プロジェクトのリーダーだから。

そのなかで時たま、大きい小さいに関係なく、失敗と隣り合わせのときの責任、という事態が生じるときがある。

その時の、その人の、事態の認め方、責任の取り方、距離の置き方だ。

仕事人として真価が問われる。何て言葉を知ってはいた。初めて実感した。

最近、二度、あった。これまで、どれだけ大きな責任を引き受けてきた人も、どれだけ見事な仕事をしてきた人でも、失敗と隣合わせの責任がかかったとき、その真価が問われる。
 
逃げるな。自分のミスだと認めればよい。
追いやるな。私はあなたを責めない。
投げ出すな。私は無言で責任をとる。

哀しいが。真価が問われる時というのは、仕事ピークでも多忙でも煩瑣なときでもない。
フィッシュに近づいたとき、静かなとき、油断したときだ。

気を付けよう。己れにも言い聞かせる。