服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

何ですと!「企業主導型保育園では、この園は沖縄で最大規模」?!

昨日、3園目の保育園の監査結果の報告があった。

内閣府の監査は既に終わっていて。沖縄県の立ち入り監査は、2年目の今年やっと行われた。そして、やたら大変だった。何をこれほど大袈裟に、と内心思っていた。

すると、園長夫妻が「内閣府所管 企業主導型保育園では、沖縄県内で最大規模だから」と言う。 え? 思わず聞き返した。

「本当ですよ!県の人に言われたんです。『この保育園は、沖縄県内に創られた企業主導型保育園では、最大規模なんだから』と」

おお。おお。おお。そうだったのか。(笑)

だから、あれだけ、創立・設立の途中進行も大変だったんだ、煩雑だったんだ。

確かに三園目は、旗艦園として創設した。申請で1年、建築に1年、2年がかりの保育園だ。準備・リサーチを入れたら3年がかりのプロジェクトだった。

申請時には、内閣府だけでなく、県土木管理なんとかとか、沖縄県子ども何とかとか、県が頭につく機関への足運びや書類のやり取りも、何回もあった。もちろん、内閣府との電話やメールやり取りは、一年近く、ある時期は、ほぼ毎日、一日数回だった。

そして。融資をした琉銀はともかく、沖縄公庫も医療福祉機構も、やたら「初の」とか「こんなことは初めて」「うちにとって初めて」とか、始終言ってた。

私は「最大瞬間風速、数億程度で、何をそんなにびびっているんだ」と失礼なことも、誰かに言った。いま、ごめんなさい。

あれは、本当だったんだ!(笑)

感慨深い。小さくとも「初を成した」ことを、いま知った私。

素人だった私の、髪は抜け、目は血走り、眠れぬ夜が続くあの苦闘(爆笑)は、“初を為すため”の苦闘だったんだ。

モノを知らなかった私の、憤慨したことも、絶望から起き上がったことも、泣きながら単座したことも、すべて、小さいながら「初を成す」ためだったんだ。‥‥。

そう分かったら、真夜中なのに、笑いが出てきた。可笑しくて、面白くて。この笑いって、いわゆる歓喜なのかなあ。

そして、目に見えない神や仏や運命に、感謝の思いが湧いてきた。

有り難う。ありがたい。本当にありがとう。私って本当に運がよい。強運で、幸運だ。