ラスキン「おおむね大きな誤りの底には高慢がある」
今日、この言葉を見つけたときには、ズキンときた。
最近の自分の“誤り”を、見つめ直した。
すると確かに、その底には高慢があった。
自分は慣れている。自分は分かっている。
私の方が年上だ。私の方が立場が上だ。
こっちが常識だ。こっちが当たり前のことを言っている。
‥‥、と。
で、これは、是非はともかく、高慢だ。私の高慢だ。相手に高慢さがあったとしても、多くの高慢さの分量は、私の方が多い。
そう、静かに振り返っている。
ラスキン「おおむね大きな誤りの底には高慢がある」
今日、この言葉を見つけたときには、ズキンときた。
最近の自分の“誤り”を、見つめ直した。
すると確かに、その底には高慢があった。
自分は慣れている。自分は分かっている。
私の方が年上だ。私の方が立場が上だ。
こっちが常識だ。こっちが当たり前のことを言っている。
‥‥、と。
で、これは、是非はともかく、高慢だ。私の高慢だ。相手に高慢さがあったとしても、多くの高慢さの分量は、私の方が多い。
そう、静かに振り返っている。