人は、誰にも悲哀がある。生きていれば、悲哀を感じるときがある。
私は、悲哀について、こう考える。
まず、悲哀という名がぴったしの”感情”を認識することが、大事だ。
寂しいのか、悲しいのか。辛いのか、嫌なのか。何故こうなるのだ、何が悪かったのだ。
私はかつて「あ、これは、いわゆる“悲哀”だ」と認識したとたんに、気が楽になった経験がある。
つぎに。矛盾しているが。
悲哀に囚われすぎないことも大事。また、悲哀に浸ることも、あるときは必要。
そして。こう思うことにしてほしい。
運が悪いのではない。あとで実は良かったのだと分かる。
誰が悪いのでもない。ちょっと時期やタイミングや巡り合わせが、ずれただけだ。
扱いにくい感情だが、悲哀は人生の醍醐味の一つだ。