服部智恵子の大学設立日記

どうやって大学をつくるか。ゼロからスタート大学設立同時進行日記

“サムシング”という不可解な価値

ある日、疲れた身体と心で臨時の宿泊場所にたどり着き、ワインを飲みながらテレビを見ていたら。

9人ダンス日本一決定戦という、民放の番組を放映していた。3組しか出ない、それぞれのチーム。キレとか、ユニゾンとか、技とか、何とかかんとか。

それを見ていて思い出した。

昔。中国語通訳をしていたころ、舞台関連の訪中団について、中国各地のあらゆる舞台を見た。

とても凄い、技も切れもあり、才能も練習も完璧な北京の舞踊団。そのあと南方の舞踊学校の学生の踊りの披露。そして、離れた地方のとある歌舞団の舞台。等々。

北京の超有名舞踊団の完璧な舞台の後では、どの地方の一流とされる舞踊団は、どれも見劣りがした。

しかし、不思議なことに。とある地方の舞踊団の舞台をみたとき。終了後に、訪中団の人達の、舞踊団への質問が凄いときがあった。

質問が引きもきらない。おそらく団員のほぼ全員が質問とか感想を、言ったのではないか。北京の舞踊団鑑賞の時は、なかったことだ。

そして、帰国して、この田舎の舞踊団を招聘する話が、訪中団団員から企画部に持ち込まれた。

企画部の部長は通訳をした私に、電話をかけてきた。ほんとのところ、上手いか下手か、招聘するほどのものかを、聞きたかったのだ。

私は正直に答えた。「北京に比べればイマイチです。でもサムシングがあった」「サムシングって、なにさ」「終了後の質問の量がハンパなかったです。皆で一時間くらい話してました。帰りのバスでも、みなずっと興奮して感想を言っていました」

そのとたん、部長の声が変わった。

「なるほど。質問が多かったんだね。君はその魅力を“サムシング”と言うんだね」

2年後、その舞踊団は日本に招聘されて、各地で公演した。私は妊娠出産のため、通訳で付く機会はなかったが、嬉しかった。

そう、舞踊とか演奏とか、舞台とかは、上手い下手ではないときがある。人の心を捉える“サムシング”という魅力もあるのだ。