昨晩、某大学の教授と、私達夫妻で食事をした。ほんの2日ほど前の突然の招待だ。
名物教授で、大変に多忙な方だ。
その方が、どうして私達二人を、ある意味、接待の形で食事をするのか。これは何か頼み事かくるのか、と思って望んだ。
そして、分かった。
この人は、師匠として弟子のために、動いているのだ。今度大学院に入る予定の弟子のために、私達に仁義を切ってくれたのだ。と。
教授は、私達が紹介した“社会人学生”と面談・面接して、気に入った。そして、直ぐに、教授自ら、その人が院に入るための戦略をねった。
それを遂行するためには、私達に了承・理解してもらう、とある事があった。
私達にとっては「なんだそんなことか」「良かった」「これで彼の大学院前途は開ける」という大歓迎のことだった。
帰宅後、しみじみと、話した。
「教授、本当に教授として学生の世話をしているね」「弟子になる人のために、小さな懸念も外そうと、師匠として行動してくれているね」「何か、一つの師匠道を見た、そんな気がするよ」