何度、思い返しても、腑に落ちない。だから整理のために、書く。
周りからは、大人の対応をと言われたり。損して得を取れと忠言されたり。解決金で縁を切れと暗に諭されたり。
それも全て、納得できたり、感得したりする。できる。
だけど、事がおわって2日目。どうしても、煮えくり返った気持ちがおさまらない。
なぜ、“労働者の権利”を訴えた理事兼労働者の主張、とする、巧みな労働貴族の主張に、残り約70人の声を出さない、声を出せない職員の思いが、かけ消されるのだろう。
なぜ、理事長は他の職員の思いを代弁している、という主張は鼻からきいてもらえないのだろう。
なぜ、嘘だろうが、エセ(似非)だろうが、“労働者”と名乗る人間の主張がまずは基本=デフォルトとなるのだろう。
1日、寝込んだ。1日、思考した。
分かったことは、というよりは、私が思い付いたことは、まず3つ。
1.何かどうであれ、労働局はまずは、労働者の側に立つ。労働者の主張を基本とする。その立場を崩したら、最低限の、悲惨な労働者の立場を守れない、というのが基本姿勢。
2. 労働組合幹部出身者(労働幹部)と労働局は、共同言語を持っている。日本語と英語の違いくらいある。
3. 労働局には「こんなことは、解決金で切った方が、結局はよい”という、大人の知恵=賢い知恵」がある。
なんてことを、1日中、反芻したり、考えたり、思い直したりしている。