「そんなこと、あなたね」
「何者になるかなんて、(この後、クリティカルな、つまりは知的で冷静遅着な罵詈雑言(笑))」
「それよりも、何を成すか、ですよ。」
「成されたモノが、ソレが、その人がやっとのだと評価されなくとも、後で、わかる人が評価します」
「何者になったかよりも、何を成したか、ですよ」
恩師の言葉が頭を巡る。
もちろん、その時は、分かっていなかった。腑に落ちるのは、この後だ。
咀嚼するのは、この後だ。
恩師は、たくさん教えや言葉を発したから覚えていないだろうが、教え子の私は覚えている。
そして、いま、それを指針にしている。
私の目標は「何を成すか」
遊びで、サブタイトルで、「何者になるか」(笑)